スガ旅

夫婦で世界の大自然を歩いた旅の記録

私たちのカミーノ⑮

31日目

Fonfria → Sarria

朝起きると身体が痛い…、これはやはり…風邪。
「風邪かも」と思うだけで急に全身全霊で元気がなくなります。熱がある気もするしものすごくだるい気もする。

とりあえずアルベルゲのカフェで朝食を済ませ、「改源」を飲んで出発です。

ガリシア州は雨がよく降ると聞いていましたが、本当にその通り。雨が降ったり止んだり忙しく、カラッと晴れ渡ることがありません。

寒暖差のせいか、アルベルゲ内でもらったのか、この旅で初めての風邪です。夫も少し調子が悪そう。

今日の目的地はサリアという大きめの町にして、ブルゴス以来の休息日を作ることにしました。サリアまでは26kmくらいなので、いつもよりもちょっと多めになりますが、とにかくあったかいお風呂に入ってひたすら眠りたい…。

まずは9kmほど先のトリアカステージャを目指します。ATMもありそうなので、現金の補充も兼ねて休憩。

朝食セットを頼むと、トスターダとトマト、オレンジジュースとカフェコンレチェでした。焼いたパンにオリーブオイルとトマト、塩をかけて頂くスタイル。スペイン語ではトスターダ・コン・トマテ。

いつも通りバターとジャムもついていたので、色んな味が楽しめてお得感満載。ちなみにバターはスペイン語でマンテキーヤ、ジャムはマルメラダ。カミーノでは頻出単語です。

昨日の宿で私の隣のベッドだった男性がやって来て、私たちが挨拶をすると同じテーブルに座ってきました。彼は少し挙動不審な感じで、昨日の宿で東欧系グループの女子たちに挨拶するも完全無視されていました。
私たちのテーブルで朝食を食べ始めた彼は、アイルランドから来たエイダン。三回目のカミーノで、今回歩き終えるそう。日本にも何度か来たことがあり、ウーフ(無償で仕事を手伝う代わりに寝床と食事を提供してもらうシステム)を使って長野のホテルに滞在したことがあると話していました。彼の話を聞いているうちにまた雨が降り出し、急いで出発。

トリアカステージャから道が二手に分かれます。南のルートはサモスを通るルートですが、今日中にサリアに着きたかった私たちは、距離の短い北ルートへ。

雨が降ったり止んだりですが、緑が美しく日本の山のようです。

途中、寄付制の休憩スポットがありました。私の苦手な雰囲気でしたが、膀胱が限界だったのでお邪魔してみました。この場所の主と思われるジェシー・ピンクマン似の男性にトイレはどこか尋ねると、裏の畑のような場所に連れて行かれました。

「トイレは二つあるんだ、カカ(大)はあっちのトイレ、ピピ(小)はあっちのトイレ」と男性が指差す先にはドアなどない簡易のトイレが。

私はピピの方に行って用を足しましたが、カカだったとしたら行きにくい…。

彼らはテントで生活しているらしく、巡礼者の顔にペイントしたり、ギターを弾いたり、瞑想したりととてもゆっくり過ごしていました。夫にもらった小銭をドネーションボックスに入れ、ゆで卵とバナナを頂きささっと出発。

夫がスタスタと前を歩く後ろで、エイダンのマシンガントークを聞きながら歩き続けました。
エイダンは足がクソ痛いエリックにも会ったらしく、彼は痛みの話しかしないからすごくエネルギーを吸い取られる、と言っていましたが、風邪気味で朦朧としていた私は猛烈に話し続けるエイダンにエネルギーを吸い取られていました。

アイルランドの気候や地形の話、環境問題の話などを聞き、スターウォーズが嫌いだと言い出したエイダン。そこだけちょっと聞き流せなかったので、体調が悪い中私のハリソン・フォード愛を語り、休憩地点に到着。別れ際に、「スターウォーズのラスト・ジェダイはアイルランドで撮影したんだよ」と耳寄り情報を教えてくれたので、やっとアイルランドに行きたくなったよ、と言って別れました。何だかんだいい奴でした。

カミーノ2週間目くらいからちょこちょこ挨拶を交わしていたアメリカ人の奥様と、まさかのモンベル被り。彼女は何と、映画「Wild 」でシェリルがPCTで最初に出会った男性・グレッグの奥様。おったまげました。映画の通り、彼は1995年にはスルーハイクを達成できなかったけれど、翌年の1996年に達成したんだよと話してくれました。私たちがJMTのスルーハイクをしたことを話すと、「JMTだってものすごくタフじゃない!あそこを歩ききったのね、おめでとう!」と祝福され、何だかとても誇らしい気持ちになりました。

サリアの町に入る頃には体調がかなり悪化し、悪寒が止まらず亀の歩みとなっていました。後ろから来たノラが心配してしばらく一緒にいてくれましたが、夫に追いついたので先に進んでもらいました。

Booking .comの検索画面でバスタブ付きの宿を絞り込んで予約した宿に到着。ホテルではなくアパートでしたが、とにかく早く休みたい…。

アパートに入るとあるはずのバスタブはなく、シャワーのみ。

予約画面を何度見ても「バスタブ」と書かれているので、Booking .comに連絡し、Booking .comから10%だけ返金してもらえることに。言ってみるもんだな…。

ニンニクと生姜を大量に使ったスープを作り、倒れるようにベッドに入りました。

32日目

Sarria

一歩も外に出ず、生姜の効いた野菜スープとパンを食べて一日中寝て過ごしました。食欲があるのが救い。
海外で体調を崩すことほど嫌なことはありません。ただの風邪ならいいけど、変な病気じゃないといいな…と心細くなります。体温計もないので熱があるかも分からず、実家が恋しくなりました。

33日目

Sarria → Portomarin

昨日丸一日寝たせいか、寒気もなくなりだいぶ楽になりました。やっぱりただの風邪か…。

サリアの町を見ることなく、矢印の通りに進みます。


一応記念撮影。

霧の中を進みます。体調は良くなりましたが、少し咳が出ます。

アーモンドケーキとカフェコンレチェで休憩。
今日はプルポが食べられるポルトマリンを目的地にして、少し短めの行程です。

マリアに風邪で1日サリアにステイしたこと、今日はポルトマリンまでしか歩かないことを連絡すると、私の身体を気遣いつつも「もうすぐ追いつける気がする!」と喜んでいました。

サリアからは巡礼者の数が急に増える、と聞いていましたが、本当にずっと人に挟まれて歩くことになります。サンティアゴにてコンポステーラ(巡礼証明書)を貰うには、サンティアゴまで100kmは歩く必要があり、サリアがちょうど100kmくらいの距離なのです。

ついに残り100km地点に到達です。ここからはスタンプを1日2個以上貰わないといけないらしいのですが、私の巡礼手帳はもうすでに押す場所がなくなりそう…。

休憩中のカフェでベリンダ姉さんと再会。彼女もアルベルゲで風邪をもらったらしく、咳をしていました。二人で咳をしながら薬を飲み、「私たち、もうボロボロだね」と笑いました。

ベリンダ姉さんによると、シェーンとクリスティーンも風邪でダウンしているとか。もうこれはみんな同じ風邪だな!と何となく一安心。

遠くにポルトマリンの町が見えてきました。見えてからが遠い。

私の愛用アプリ「Buen Camino」によると、サリア以降は巡礼者が急増するので宿の予約を忘れるな、とのこと。私たちは予約していませんが、大きめのアルベルゲにアタックしてみる予定です。

橋を渡るとポルトマリンです。橋が思いの外高さがあってお尻がゾワゾワしました。

橋を渡り終え、急な階段を登って町に入ります。とんでもない入り口ですね。

130ベッドある大きいアルベルゲに行ってみると、問題なく入ることができました。ものすごく綺麗な施設で、シャワー・トイレも男女別でとても清潔でした。

ずっと奥までベッドがあるけれど、宿泊者がそんなにいないので使われていませんでした。

テラスからは湖が見えて気持ちいい。シャワーを浴びて洗濯を済ませ、軽食を食べに出かけます。

ポルトマリンの町の中です。新しい巡礼手帳もゲットしたい。


町の中心にある大きな教会。

ツーリストオフィスが閉まっていたので、土産物屋さんで巡礼手帳を購入しました。


記念撮影。

バルに入るもプルポはないと言われ、トルティージャとポテトフライを注文。トルティージャにもジャガイモがいっぱい詰まっていて、お腹いっぱいに。

夜、宿の裏のレストランにプルポを食べに行きました。これだけ食欲があれば風邪ももう治っただろうと思いましたが、夜になると咳が悪化しました。


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私たちのカミーノ⑭

29日目

Cacabelos → Vega de Valcarce

朝7時過ぎに起床、周りの人たちはもう出発したようです。個室なので、周りの目を気にせず着替えも出来て、本当にいいアルベルゲでした。
8時前に出発。まだ星が見えていますが、もうすぐ夜が明けそう。

8時半に次の村に着いたのでとりあえず朝食。テラスでパンを食べながら日の出を見ていると、昨日知り合ったジョズエとアルベルタも通り過ぎて行きました。

次の村はビジャフランカという村ですが、道が二手に分かれます。道路沿いの道と、山沿いの道。私たちは道路沿いを歩きました。

ビジャフランカに着くと、反対の道を選んだ人たちをずいぶん追い越したようで、かなり早く進んだみたいです。猫がたくさん居たので少し立ち止まりました。


猫の行列。


ついてくる。

後ろからジョズエとアルベルタが来たので、村の中まで一緒に歩きます。

ジョズエから聞いた通り、アルベルタは常に何かを食べています。落ちている栗やクルミを拾って食べたり、木になっている実を食べたり、そしてとても幸せそう。2日前は落ち込んでいたけれど、この陽気なイタリア人たちのおかげですっかり忘れていました。

一緒に2回目の休憩。彼らはイタリア語で注文してもちゃんと通じます。

昨日に引き続き今日もご馳走になってしまいました。アルベルタに、次はどこで休憩する?と聞かれ、連絡先を交換。


子猫の兄弟。

ビジャフランカはとても美しい村でした。ジンから「今日サンティアゴに到着する」とメールが来ました。私たちとマリアに会いにバスで戻ってくると言うのですが、私たちとマリアは現在離ればなれ…。ジンは解決策を見つけてまた連絡すると言っていました。それにしてもめっちゃ早いな…。

マリアからも何度かバスに乗って私たちの所に来る、とメールが来ましたが、ある時は日曜日でバスがなかったり、ある時は私たちのいる所までのバスがなかったりで実現しませんでした。
私にも数日の間に感情のアップダウンがあったように、マリアの過ごした数日にも感情の起伏があったようで、メールの文面からそれが見て取れました。

マリアは最後の1週間は私たちと一緒に歩くことを望んでいましたが、私たちがマリアのためにどこかで待つのも何だか違う気がしていたし、何よりゴールまでにまた必ず会えると確信していたので、マリアを励ましながらいつも通り私たちのペースで進むことにしていました。

イスラエルから来たレウトとシーラに遭遇。彼女たちは昨日の監獄アルベルゲでも一緒で、アストルガからのスタートです。二人とも私より若いけれど祖国の行末をしっかりと考えていて、昨日の夜小一時間ほど話しただけで大好きになりました。歩くのがあまりにも遅いと嘆いていたので、念のため私たちの今日の目的地と、休憩予定地も伝えました。

ビジャフランカを出た後はずっと道路沿いを歩きます。同じ景色をだらだらと歩くので、夫も私も音楽を聴きながら。


栗の木。


イチジクの木。

道路を歩きすぎて疲労…。途中の村で休憩します。


ドアがかっこいい。

入ったカフェで巡礼者メニューを幸せそうに食べるアルベルタを発見。ジョズエはやっぱり逆流性胃腸炎のため食べません。


イタリアのクールマイユールで見た屋根と同じ屋根。

ジョズエたちを追い越す度に「ノ〜!」と叫ばれます。彼らの方が身軽なので、納得いかないみたいです。

「この村で一緒に休憩しよう」と言われた村に到着。先にコーヒーを飲んで30分ほど待ちました。

ジョズエたちも到着。私たちの目的地はあと1.5kmほどですが、ジョズエたちは5kmほど。もっと近くにしたら?と言うと、荷物を送ってしまったために行かなければならないそう。ポーターサービスのデメリットですね…。

ジョズエたちと別れ、私たちは今日の目的地、ベガ・デ・バルカルセへ。
村に入ると「朝食付き8€」の看板が目に入り、吸い込まれるようにそちらのアルベルゲへ。

アルベルゲのオーナーはマリアというかわいい女性で、とても優しい人です。部屋にはぎっしりと二段ベッドが並べてあり、東欧系の大人数グループと一緒になってしまいちょっとうるさい…。

シャワー後、村の唯一のレストランで晩ご飯。

ここがものすごく美味しいレストランで感動!今まで食べた巡礼者メニューの中でも一番でした。横に座っていたオーストラリア人ご夫婦とおしゃべりしながら食事して、オーストラリアのおすすめトレイル情報を教えてもらいました。イスラエル人のレウトとシーラも無事到着したようで、同じレストランで再会しました。

夜、寝袋に入ってから誰かのイヤホンからの音漏れが酷く、朝までずっと部屋中にトランスミュージックが流れていました。

30日目

Vega de Valcarce → Fonfria

朝ごはんは宿のキッチンにてセルフサービス。手作りのマフィンやケーキ、パンなどテーブルいっぱいに用意されていました。ノラも同じ宿だったようで、後ろから急に話しかけられ思わず「おはよー!」と日本語で返してしまいました。

歩き始めると先日モリナセカの宿で一緒だったフランクさんと再会。小さい身体で一生懸命歩く姿がかわいい。フランクさんはシリコンバレーの近くに住んでいるそうで、初対面の時は見た目から日本人かと思ってしまいましたが、日本語は話しません。本当に、見た目だけでは国籍はわからないものですね。


のどかな村々を抜けて行きます。

ラ・ファバからは登りになります。今日もちょっとずつ休憩して登り、一気に降りる予定です。山のてっぺんにあるオー・セブレイロで宿泊する人も結構いるみたい。

オーストラリアのママ友3人組に再会。会うたび、別れるたびにハグしてくる人たちです。

登り始めるとノラに追いついたので、しばらくおしゃべりをしながら一緒に登りました。話題は主に私たちの旅行やビーガンのこと。ノラから、ハン先生も奥さんと色んな国に行っていて、各地で無償で治療をしていることを聞きました。また、ビーガンでもこうやって800km歩けるんだから、肉や卵を取らなくたって栄養は十分取れるんだよ、と教わりました。でも私は韓国に行ったら絶対にサムギョプサルを食べたい、と言ったら笑っていました。優しい優しいノラ。

山の中腹で、しきりに巡礼者を呼び止めるイケメンに遭遇。彼はウクライナ出身のエリック。「振り返ってこの景色を見るべきなのに、みんな素通りするんだ…!」と嘆いていました。私たち夫婦とノラも足を止め、さらに後ろから来たフランス人グループも足を止めました。


エリックの見せたい景色。

「僕はしばらくここでみんなの足を止める任務に徹するよ」と言うエリックは、終始「足がクソ痛い」と連呼していました。


馬も通ります。

オー・セブレイロ直前の村で休憩していると、レウトとシーラもやって来ました。二人ともとても辛そう。まだカミーノ5日目くらいのはずなのに、シーラは足裏の水ぶくれが酷いらしく、靴を脱いで休憩。レウトは登りでは息が出来なくて苦しいと言っていました。
2人はユダヤ教なので、カフェに入っても食べられるものが限られます。漠然と、ユダヤ教とキリスト教は仲が悪いのかと思っていましたが、彼女たちのようにカミーノを歩いてみようと思う人たちもいるんだと驚きました。
宗教の話から、突然彼女たちに「仏教で好きな教えは何?」と聞かれ、私は「色即是空」を説明。私の拙い英語ではおそらく2%も伝わらず、「よく分かんないけど、深いね」と返されました。全仏教徒のみなさんごめんなさい。

オー・セブレイロに到着です。こじんまりして美しい村ですが、バスで観光客もたくさん来ていました。一生懸命登ったてっぺんにバスが止まっていると、何だか少しがっくり。

ガリシア州に入ったようです。カラフルな石碑に色々書き込まれていますが、こういった公共のものに直接何かを書き込む精神が分かりません。


お山の上に建つ巡礼者の像。

次の休憩場所を目指して山を下って行きます。

残り150km!ガリシア州に入ったのでタコ料理も楽しみ。

今日の目的地、フォンフリアに到着です。周りには何もなさそうな村なので、アルベルゲで夕飯もお願いしました。昨日の宿で一緒だった東欧系のグループもまた同じ部屋で、散々大声で騒いだ後にフランス人のマダムに「みんな休んでるんだから静かにしなさい!」と怒られていました。助かります。

夕飯会場は別棟にあり、長テーブルでみんなで頂くスタイル。夫の横には足がクソ痛いエリックが座りました。

夕飯はスープとお肉の煮込み、パンに米と嬉しい内容。

ウクライナではこんな山の風景を見たことがなかったと言うエリックに、モンブラン山群の写真を見せる夫。「Amazing!!!」を連呼していましたが、痛み止めを飲みすぎたのかどんどん呂律が怪しくなり、眠そうになっていました。


絶品のサンティアゴケーキ。

食事の後は大音量で音楽が鳴り始め、スタッフが踊りながらサンティアゴケーキを配るサプライズ。

その後も音楽は止まらず、謎のダンスタイムが始まりました。女将さんは色んな人をダンスに誘っていましたが、みんな相当疲れていたのか参加したのはまさかの2.3人…。ダンスに参加するパワーがゼロのエリックと私たち夫婦はこっそり抜け出しました。外に出るとフランクさんもいて、顔を見合わせて苦笑い。


「他の人より短い」と夫に指摘を受けた寝袋姿の私。

ノリが悪くて本当に申し訳なかったけれど、何だか風邪を引いたようで悪寒が止まりませんでした。昔から我が家が信仰している「改源」を飲み早めに就寝。

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私たちのカミーノ⑬

27日目

Rabanal del Camino → Molinaseca

昨晩寝る前に食べた辛ラーメンで胃がもたれてしまったので、今朝はアルベルゲでコーヒーのみ頂きました。


いつも優雅なセバスチャン夫妻。

宿に貼ってあった地図を見て、いよいよ終わりが見えて来たことを実感。

出かける前にギレンヌに、「石は持った?」と確認されました。今日は山の上に立つ鉄の十字架を通る日で、巡礼者は自分の国から石を持ってきて、ここに祈りを込めながら置いていく、という慣しがあります。
私たちはそんなことは全く知らなかったので、昨日そこら辺に落ちている石を拾って準備しました。

ギレンヌがカナダから持ってきたんだという石を見せてもらうと、とても綺麗なキラキラ光る石でした。「海で探したの」と嬉しそうに話すギレンヌ。私も日本から持って来たらよかった…!

今日もいつも通り日の出とともに出発!

5kmほど歩き、フォンセバドンで朝食休憩です。


道の真ん中に十字架。

ここのトスターダがカミーノで一番美味しかった!朝食を食べているとシェーン&クリスティーン、ウェイン&テレサ、ジェネルやオーストラリアのママさん3人組に遭遇。石を置く日のせいかみんなちょっと興奮気味。

十字架はフォンセバドンから少し登ったところにありました。巡礼者が祖国から持ち寄った石たちが十字架の周りに置かれています。私たちも昨日そこら辺で拾った石を置き、祈りを捧げました。
鉄の十字架が意外に小さかったのが印象的でした。

ここから先は私たちの得意な山道です。他の巡礼者を抜いてぐんぐん進みます。

久々のアップダウンが新鮮で気持ちいい!

足裏に若干の痛みを感じつつも、軽快に下っていきます。途中休憩に寄った村でダグとジョンと再会。彼らも今日の目的地は私たちと同じモリナセカです。ダグとジョンの予約しているアルベルゲを念のため聞いて、後でね!と別れました。

モリナセカに到着です。今日はとてもテンポよく進めました。

ハンガリー人のお友達からのメールで、「僕はモリナセカに泊まらなかったけど、次は絶対泊まりたいくらいかわいい町」と聞いていたので、ここに滞在することにしたのです。

町の入り口からすでにかわいいので上機嫌です。ダグとジョンのアルベルゲは町を出る場所にありますが、町の真ん中に新しく綺麗なアルベルゲがあったのでそこに決めました。


ベリンダ姉さんも同じ宿!

オーナーはとても優しく、日本の四国とこの町は交流があることや、近くのアルベルゲの庭に観音様がいることなどを紹介してくれました。

部屋に二段ベッドが4台あり、私たちと日系アメリカ人のフランクさんの3人だけでした。ベリンダ姉さんは別の部屋。

シャワー後足裏を確認すると、包帯が擦れてしまって悪化し、巨大な水ぶくれになってしまっていました。以前台湾人のチンから教えてもらった方法で、針を刺して水を抜くだけでなく、糸を通す方法を試してみました。糸が通っているので水がある状態で皮が閉じることを防げます。汚くてごめんなさい。

洗濯をしたかったのですが洗い場がなく、5€払って洗濯機を回しました。乾燥機は4€だったので、オーナーに支払ってトークンをもらい、乾燥機も回しました。私たちが乾燥機終了に気づく前にオーナーが気付いて、洗濯物をベッドまで運んでくれていました。優しい…けど高い…。

せっかくなのでオーナーに教えてもらった観音様を見に行くことに。ダグとジョンのアルベルゲの向かいにあるみたいです。


日本語!

生き木観音です。何だかありがたい気持ちになります。

帰り道にダグとジョンのアルベルゲを通るとちょうど二人とも外にいました。ご飯に誘いましたが、アルベルゲでもう注文しているそう。そしてもう一歩も動きたくないと言っていました。また明日ね!と言って別れ、私たちは夕ご飯を食べに町に戻りました。

宿の前を通り過ぎようとした時、オーナーに呼び止められたので足を止めると、急に「乾燥機のトークンは?」と聞かれました。えっ乾燥機に使ったよ、と言うと、「そんなはずない」の一点張り。「僕はトークンを渡したよね?Yes or No」と言われたので、もらったけど使ったよと言っても「No!」と言われてしまい、彼が何を言いたいのかが全く分からず。
しまいには、私たちが英語を理解していないと思ったのか、「韓国人か?何語なら分かるんだ?」と言われ、Google翻訳を使い始めました。「乾燥機が終わって、私たちの洗濯物をあなたがベッドまで運んできたでしょう?」と言うと、しばらく考えた後思い出したのか、「あー、ごめんごめん、違う人に渡したんだった」と言われました。
その後特に彼を責めることもせず、夫と食事に出かけましたが、怒りは全くおさまらず…。宿のオーナーに腹が立っているというよりも、失礼な態度で傷ついたよと言えなかった自分に腹が立っていました。


29日目

Molinaseca → Cacabelos

腹が立ちすぎてあまり眠れず、朝になってすぐに宿を出発しました。

あまりに怒りを引きずる私を見て、夫は不思議そうに「あの人がアホだっただけなのに何でそんなに怒るの?」と。確かに。

次の町はポンフェラーダという大きな町で、モリナセカを出ると道路沿いを歩くショートカットコースがあります。朝ごはんがまだだった私たちはショートカットコースを使ってポンフェラーダへ。

カフェで朝ごはんを済ませ、ポンフェラーダの旧市街を抜けます。ハン先生夫妻は教会を見学していました。


ポンフェラーダの教会。

美しい風景に心が洗われます。あの怒りの15分のために心を掻きまわされたくない。そして夫にはノーベル平和賞を進呈したい。

ポンフェラーダを抜け、川沿いにサッカー場がいくつも並んでいる横を歩きます。子供達が試合の真っ最中で、つい立ち止まってしまいました。


分かりやすいカミーノマーク。

巨大な鳥の巣を発見。もはやアートです。


マリア様の手いっぱいに花びらが。

途中の村でサンドイッチ休憩。小さなオリーブオイルの瓶を買ったのですが、パン+オリーブオイル+生ハム+チーズが最高です。特製ボカディージョです。


魔女の鍋みたい。

教会前でスタンプ押すよと言われたので押してもらいました。寄付制でした。


幸せそう。

今日の目的地、カカベロスに到着です。町に入る前に後ろからイタリア語が聞こえたので、イタリア語も話せないくせに「イタリアーノ?」と聞いてみると、ものすごくフレンドリーな人たちで一気に仲良くなりました。

英語をほぼ話さない彼らとイタリア語を全く話せない私たちは、Google翻訳を使ってコミュニケーション。レオンからスタートした彼らの名前はアルベルタとジョズエ。ご夫婦かと思ったら友達で、お互いの配偶者も親友だとのこと。

アルベルタに誘われてベッドもまだ確保出来ていないのにレストランへ。私たちもまだお腹は空いてなかったのでコーラだけ頼み、アルベルタだけ巡礼者メニューを堪能。ジョズエは逆流性胃腸炎のため歩く前には食べないそう。


太陽が必要なアルベルタはどんどん遠くに。

ジョズエはGoogle翻訳が気に入ったらしく、日本での結婚式の相場など色々な質問をぶつけてきます。結婚式には市長とか司祭とか来るの?と聞かれたので、結婚式は形だけで、実際は紙を役所に提出したら結婚したことになるよ、と教えると「ノ〜…」とひどく悲しそうでした。

ジョズエはイタリアのサルデーニャ島から、アルベルタはローマから来たそうです。どちらも行ってみたい!子供を連れてこいと何度も言われました。

先へ進むジョズエとアルベルタと別れ、私たちは公営のアルベルゲへ。一人6€と格安ですが、Googleのレビューには「監獄以下」と書かれていたのが気になります。

アルベルゲに到着。受付の女性はとても感じが良く、「アリガトウ」と日本語で言ってくれました。部屋は全て個室にベッド2台となっています。


私たちの部屋。

ベッドの衛生状況が気になりますが、寝袋を使えば問題なし!とても居心地の良い部屋で安心しました。

中庭に行くとハン先生が居て、手招きされたので行ってみました。足裏の水ぶくれのことは言わなかったのに、足裏に手をかざして、また手の指に針を刺してくれました。シャワー前だったので、この後2時間お風呂に入れませんでした。

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