スガ旅

35歳を迎え、夫婦で仕事を辞めました。

SUGATABI.

スガ家の旅の記録

夫のセネガル帰省③

太郎少年が過ごした家

ゴレ島から戻ったその足で、夫が住んでいたというマンションまで歩いて行く事にしました。

都会ではありますが混沌とした路地を歩き、「シノワ?シノワ?」と呼ばれる声を無視し、たまに空いている穴に落ちないように足元をしっかりと見ながら集中して歩きます。

こちらが当時太郎少年が住んでいたマンション。大きくてびっくり。そしてもう30年以上前なのにまだマンションがあったことにもびっくり。

感傷に浸る夫を見たかったのですが、やはり記憶は蘇りませんでした。1階の外にはたくさんの物売りが商品を持ってウロウロしており、写真を撮って足早にその場を後にしました。

せっかく都会に来たので、道端のネスカフェ(と書かれたインスタントコーヒー屋台があります)以外のカフェに入りたいと思い、ちょっと高めのカフェに入りました。

ケーキも美味しそうだったので注文し、至福のコーヒータイム。周りはスーツを着たビジネスマンばかりでした。

マジックランド

次に向かったのは、ダカールのミステリアスな遊園地「マジックランド」。

ミッキーマウスが居るらしいと聞いていたのですが、入場してみると私たちのほかに客は5名ほど。これは期待が薄まります!


ガラガラ。


ガラガラ。

やっているのか閉まっているのか分からないアトラクションばかり。スタッフはいません。入り口で入場料と引き換えにもらった10枚綴りのチケットを握りしめ、乗れそうなものを探します。

スタッフはいないけど迷いこんだヤギは発見。

何キャラでしょうか。

園内を回れば回るほどコンセプトがわからない。喜ぶ子供はいるのでしょうか…!

誰…!

お化け屋敷風のアトラクションで、ようやくスタッフを発見!乗る時にチケット4枚をもぎ取られました。
このお化け屋敷、衝撃の手作り感で終始爆笑でした。とにかく中は漆黒の暗さで、何かが顔に当たりましたが何かはわかりませんでした。この満足感は体験した人にしかわからないはず!

お化け屋敷が終わると、スタッフのお兄さんに「次何に乗りたい?」と聞かれたので、目の前にあった「DISCO」という乗り物を指差しました。
「DISCO」にはスタッフは居なかったのですが、どうやらスタッフはお客さんの乗りたいものに合わせて移動するみたい。私たちの専属スタッフです。

私たち二人だけで「DISCO」に乗り込むと、お兄さんがスタートしてくれます。始めは緩やかに回っていた「DISCO」でしたが、しだいにとんでもない速さになり、遠心力で外側に押し出されそう。
もう止めて…!と思ったときにゆっくりになったのでホッとしていると、なんと今度は逆回転し出しました。30代に入ってから三半規管が弱くなったのか、どんどん気持ち悪くなってきます…。お兄さんに「もういいよ!」と表情でアピールするも、明らかに私用の電話中で全然目が合いません。

無事に「DISCO」が終わり、残されたチケットはあと2枚。どれに乗れるのかも分からずお兄さんに聞くと、「車」と言われました。

私たちの初マジック・ランドのフィナーレを飾るのは、こちらの乗り物です。動くたびに天井から火花が落ちてきてスリル満点!そしてよく故障して止まります。


色あせたミッキーマウス。

今日はミッキーマウスに会えないと思っていたけど、やっと会えました。

3つのアトラクションに乗りましたが、もうだいぶ満足したのでマジックランドを後にします。
もう一回来たいかと聞かれると、正直もう一回来たいですね。

ダカール最終日

翌日、フランス語学習のためにダカールに来ているマエケンさんが、ヤッサを食べたことがないというので早速近所の定食屋に連行しました。

残念ながら今日は細い麺を炊いたものでしたが、ソースがヤッサプレ(玉ねぎソースと鶏肉)!
個人的には米にかけて食べるのが一番好きですが、これはこれで美味しゅうございました。

その後3人で近くの浜辺に行き、筋トレしている人を眺めながらのんびりとお茶をしました。
マエケンさんのお仕事を聞くと、やはり途上国支援関係で、幅を広げるためにフランス語を学ぶことにしたそうです。セネガルで出会う日本人はみなさん偉大でした。

宿に帰ると、朝にちょっとだけお会いした大学生のケンちゃんがいました。ケンちゃんもフランス語留学でこちらに来ているようで、礼儀正しく素直でとてもかわいい男の子。どうやったらこんなにいい子に育つんでしょうか。

ケンちゃんと話していると、お仕事でセネガル滞在中のお二人が帰ってきました。手には何やら箱を抱えています。

私たちは明日の夜中に空港に向かうので今日が最終日なのですが、なんと私たちのためにケーキを用意して下さったのです。

アフリカのケーキとは思えないほど美味しいケーキで、何よりもこんなサプライズがあるとは夢にも思っていなかったので感激してしまいました。

さらに夕飯までご馳走していただき、このご恩をどう返していいかわかりません。日本を出てから半年強経ちますが、実家のように温かい空間で1週間過ごすことが出来て、十分にエネルギー補給が出来ました。
全ての日本人宿がそうなのかは分かりませんが、この1週間同じ屋根の下で一緒に過ごした方々が特別良かったんだと思います。人に恵まれました。


男ばっかり!

山田さん、H田さん、M田さん、ケンちゃん、マエケンさん、Nホリさん、本当にお世話になりました。きっといつか北海道に遊びに来てくださいね!


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夫のセネガル帰省②

日本人宿「シェ山田」

シェ山田の横には商店があるので、朝からパンやバターを買って宿にていただきました。キッチンも冷蔵庫もあるので自炊も可能。

常備しているピーナッツバターがあるのでとても満足な朝ごはん。

お昼ご飯には、再び山田さん行きつけのシェ・バッジへ。ヤッサを食べに行ったのですが、ランチは日替わりのようで本日は「チェブジェン」。

お魚を使った炊き込みご飯のようなものです。味も辛くなくて美味しい!

シェ山田の前の通りは未舗装路。たまに空いている穴には漏れなくゴミが投げ捨てられています。

この日は、私たちよりずっと前からお仕事で滞在中のお二人がケーキを買ってきてくださいました。H田さんとM田さんは、世界中の途上国にて電気を届けるお仕事をされています。
毎日食べて寝ているだけの私たちとは真逆で、かなり忙しそうなお二人。日本から持ってきている美味しいコーヒーもご馳走になってしまいました。

夫のお義父さんも然り、途上国に赴任する技術者の皆さんは、過酷な環境下での長期滞在となります。同じ感覚を持った日本人と働く訳ではないので、私たちの中での「当たり前」が通じない人々と働くということはどんなに大変なことでしょうか…。言葉も文化も違うところで指示を出すなんて、本社勤務の人が地方支社の責任者として赴任する、という状況より遥かに厳しいはず…。

しかしお二人を見ていると実に生き生きとしていて、まさに天職なんだろうな、と羨ましくなりました。お二人もやりがいを感じていることでしょうが、何より、お二人のお仕事は世界中の途上国の人々の生活を助けています。

夜ご飯にピザまでご馳走になってしまい、本当に申し訳ない…!楽しそうにお仕事のお話をする二人を見て、私も夫も仕事が恋しくなりました。二人のお仕事が忙しくなかったらもっとお話をお聞きしたかった…!

Nホリさんがご出発されたので、今日はドミ部屋を貸し切りです。
シェ山田は毎日洗濯の無料サービスがあり、手洗いをしなくて済むので本当に助かります。
オーナーだけど友達のような、たまに本音がぽろっと出てかわいい弟のような、絶妙で居心地の良い山田さん。
彼はいつも程よい距離感に居てくれて、暇を持て余していると軽快なトークで私たちを楽しませて下さいます。

みんなでワイワイと楽しんだ後は、扇風機を直風で設置して就寝。

ゴレ島

今日は世界遺産にもなっているゴレ島に行ってみることにしました。
ゴレ島は、その昔奴隷貿易の拠点となった島で、現在は観光地となっています。

まずは船乗り場まで行くためにシェ山田の近くを通ったタクシーと値段交渉。一度は決裂したものの、私たちがタクシーを離れていくと運ちゃんに「わかったよ、乗れよ」と言われ値切りに成功。
それを見ていたおじいちゃんから、「立派なセネガレーゼだ!」と褒められて嬉しい。

ゴレ島にはプラトー地区から船で渡ります。ンゴール島の船とは違うしっかりした船なので安心。
チケットを買って、売店を物色。


待合室。

サータアンダギーみたいなお菓子があったので買ってみました。

味も形もまるでサータアンダギーでした。美味しくて船に乗る前に完食してしまいました。

船が到着しました。観光客と地元の人が混ざって乗船。ちなみに料金は、セネガル在住者、アフリカ在住者、それ以外、で値段が異なります。私たちは一人1000円くらい。

ゴレ島が近くに見えてきました。ドキドキします。

ゴレ島に上陸すると、みんなバラバラと自由に降りて観光スタート。と思いきや、チケット売り場の人に呼び戻され、入島料を支払います。気がつかない人も多そう…。

先にご飯食べちゃう?と夫と話していると、背の高い自称ガイドの男性が英語で話しかけてきました。
もともとガイドを付けて回りたかったので、値段を聞いてみると10,000セーファ(2,000円くらい)。問題なかったのですが、先にお昼ご飯を食べたかったため、1時間くらい後からガイドして欲しいと伝えると、私の英語力のなさのせいか、「じゃあ8,000セーファ(1,500円くらい)でいいよ!」となぜか安くなりました。
安くしてくれるのはありがたいんだけど、昼ご飯食べるの待っててくれる?と念押しで言うと、私たちが値切った訳ではなかったことを理解した上で「ああ、そういう事だったのか…わかったよ、1時間後に来るね…」と少し落ち込みながらもおすすめのレストランを教えてくれました。

彼が教えてくれたレストランは、ンゴール島よりも安く、何よりもヤッサがありました。
ソース少ないな…と思いながらも90点のおいしさだったのでご機嫌で貪り食べていると、お店のお母さんが「おかわりいる?」と聞いてくるではありませんか…!おかわりいる!!

何ということでしょう。贅沢にもボールに入ったソースを持ってきて下さいました。もう100点です。エンドレスヤッサです。

たらふく食べた後は、ガイドの彼と島内を周ります。

フランス語ガイドは絶対に無理、英語ならなんとか、と思ってお願いしましたが、私たちにはなかなか厳しいガイドツアーとなりました。

この辺の建物がなんだったのか全く記憶に残っていませんが、ガイドの彼が途中でいとこに呼び止められ、電気代だか水道代を払ってないとかでケンカをしていたのだけはしっかりと覚えています。

ゴレ島にはお土産屋さんもたくさんあります。途中で砂絵の工房も見せていただきました。

小さい頃に砂絵にハマった事を思い出しました。荷物になるのでお土産は購入せず。

椰子の木かと思ったら、よく見るとスピーカー。よく作ったものです。

丘の上に行くと、日本語ペラペラのお兄さんが。彼もまた砂アートを製作していました。日本に住んでいたことがあるらしく、「赤羽」という単語が出てきて驚きました。

恐らく島で一番の見所である、「奴隷の家」にやってきました。

1階部分が「商品」である奴隷が出荷を待つ場所、2階が商人の部屋だそうです。2階は工事中だったので、今回は1階部分だけ見学させていただきます。

こちらは子供専用の奴隷部屋。女、子供、男と部屋は分けられており、体重が60kg以上の男は高く売れるので、60kg以下の男は麦やコーンなどを食べさせられ、太らせてからの出荷となったそうです。

女の子も高く売れたそうです。子供と母親は別の部屋に入れられ、母親は壁を隔てて子供の泣き声を聞いていたそう。

今では人のすることとして考えられませんが、人が人を物として扱う時代があったことは事実です。アフリカに来ていよいよ辛い人間の過去に触れることになりましたが、私たち日本人もそうそう非難出来ることではありません。私たちにも目を背けたい過去の罪はたくさんあります。

こちらは所謂「お仕置き部屋」。脱走や自殺を試みた人はこの階段下の狭い空間に押し込められたそうです。脱走と言っても海に囲まれた島のため、どちらにせよ命を絶つ事を選んでいたのでしょう。

「Door of no return (帰らずの扉)」と呼ばれている海に向かった出口。ここから彼らは出荷されて行ったそうです。大西洋を渡りアメリカ大陸に売られて行く彼らが、アフリカ大陸と別れる最後の場所。

手にも足にも鎖をかけられ、長い航海の中生き延びられない人も多かったとか。生き延びてアメリカ大陸に辿り着いた暁には、今度はプランテーションでの過酷な労働。そして船は砂糖や綿花を積み、ヨーロッパに向かいます。これが「大西洋三角貿易」…。今のアフリカ以外の世界の発展は、彼らの労力なしには叶わなかったことでしょう。

私たちがアメリカ・ルイジアナ州で訪れることこそ出来なかったけれど、行きたくて調べた広大なプランテーション、スペインからポルトガルに南下して訪れたのは大航海時代の象徴でもあるロカ岬。

全てが繋がっていて、それぞれの国の発展とともに犠牲になった人たちがいたことを知ります。歴史というものをこれほどまでに重く考えたことはありませんでした。当たり前だけど、教科書の中だけの話ではなく、全てがあって現在の世界になっているんだ。


「奴隷制からの解放」像


ゴレ島にはそんな暗い過去を感じさせないくらいののんびりとした平和な空気が流れていて、人々は笑顔でこんな無知のアジア人に話しかけてくれます。

帰りのフェリーに乗りながら、映画「Amazing Grace」を思い出していました。
「アメイジング・グレイス」は知らない人がいないほど有名な歌ですが、この歌がどのような歌なのか、この映画を観て初めて知りました。

この曲の作詞者は元奴隷船の船長で、彼が奴隷貿易に関わった事を悔い、それでも赦してくださった神への感謝の気持ちを綴ったものがこの歌です。


映画『アメイジング・グレイス』予告編


奴隷解放の後も現代まで続く人種差別や人身売買。全てがなくなる時代は来るのでしょうか。
生まれた頃から選択する自由があり、満足な暮らしを送って来た私の境遇に感謝するとともに、頭を殴られて目が覚めたような感覚を味わいました。
未だに奴隷時代の尾を引いて発展途上にあるアフリカ諸国。
旅行者の私から見ると交通ルールはめちゃくちゃだしインフラは整っておらず、衛生的にも心配。それでもそこで暮らす人々がいました。そこには生活がありました。彼らの生活を向上させるために尽力している人々がいました。
モロッコにいた時に、「砂漠の中にホテルなんか建てずにそのままでいて欲しい」と強く思っていましたが、発展を遂げた自国に自然が残されていないからと、まだ途上中の国に自然を求めて出向き、そのまま発展しないで欲しいなんて、なんて傲慢な考えだったんだろうと恥ずかしくなりました。


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夫のセネガル帰省①

セネガル・ダカールへ

モロッコを後にした私たちは次の目的地、セネガルへと向かいます。

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タイトルに「セネガル帰省」と書きましたが、実は私の夫は小さい頃にセネガル共和国のダカールに住んでいました。お義父さんの仕事の関係ですが、お義母さんから聞く話によると、当時(3歳くらいの頃)は夫はフランス語を話していたとか。

せっかくアフリカ大陸に上陸したので、夫が住んでいた場所を見に行こうとなり、ダカールを訪れることになりました。ちなみに夫によると、当時の記憶は皆無だそうです。
また私のダカール滞在での一番の楽しみは、「ヤッサ」というセネガルの家庭料理を食べまくることです。
お義母さんがたまに作ってくれるのですが、本当に美味しくて私の大好物。食べるたびに夫と結婚して本当に良かったと思うほどです。セネガルに上陸したからには、本場のヤッサを食べ歩くしかありません。

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マラケシュ・メナラ空港は近代的でとても綺麗な空港でした。

同じアフリカ大陸の移動ですが、一度ポルトガルのリスボンを経由してセネガルに向かいます。何だか損した気分。

空港にはお祈りルームの表示が当たり前にあって、異国の風を感じます。愛媛の空港でお遍路着替えルームを発見した時と同じくらいの感動。

ラウンジで時間を潰してから、まずはリスボンへ。
さようなら、モロッコ。必ずまた来ます、次回はレンタカーを借りて。
リスボンで乗り継ぎをして、深夜のダカールのブレーズ・ジャーニュ国際空港に到着です。
事前に「入国審査官に賄賂を要求される」という情報をキャッチしていたのですが、入国審査でとっさに滞在先の住所が出てこなかった私たちに、「50€」と書いた紙をチラチラ見せて、「支払えばすぐに通してあげるよ」と言ってくる審査官。
夜中でしたが宿のオーナーに電話をかけ対応してもらい、無事に無料で入国できました。

チェックインの都合で朝になってから宿に向かう予定だったので、空港で時間を潰します。

空港内で夫に話しかけてきたタクシードライバーが、朝8時に宿に着くように送ってくれると言うので、ちょっと高かったけれど彼にお願いすることに。空港内でSIMカードの購入も手伝ってもらい、スムーズにネット環境もゲット。

私たちだけのタクシーかと思いきや、ほかに2人乗せるとのこと。そもそもその2人の迎えのために空港に来ていて、私たちからも高い料金を取るなんて…とは言えフランス語で文句も言えずに乗客4人でギュウギュウでダカール市街に向かいます。
同乗したお客さんはフランス在住のアルジェリア人。つたないフランス語で少し会話をすると、「フランス語圏に10日も住めば上達するよ!大丈夫!」と励まされました。

お義母さん曰く「ダカールの霞ヶ関」、ダカール・プラトーにて彼を下ろした後、8時まで時間があったので海までドライブ。

しばらく浜辺で時間を潰し、予約していた宿「シェ・山田」に向かいました。


道端で売られている「カフェトゥーバ」。私には無理な味でした。

シェ・山田はその名の通り山田さんが経営されているお宿で、お会いしてみて衝撃、何と私たちよりもお若い方でした。日本人が経営されている宿には初めて泊まるのですが、何となく汚いおじさんがやっているイメージだったので(先入観)、ドアを開けて迎えてくれた山田さんが若くて綺麗な青年で拍子抜けしました。

夜中に電話で起こしてしまったことを謝罪した後は、共用スペースでしばし談笑。日本語でコミュニケーションが取れる幸せを久々に味わいました。

山田さんに近所の定食屋を教えてもらい、お昼ごはんに本場のヤッサを食べに行きました。


記念すべき初・本場のヤッサ・プレ。

味は美味しいけれど、胡椒が効きすぎて辛い…!出されたお水を飲むのが怖くてコーラを頼んでしまいます。汗だくで完食し、本場のヤッサも口に合うことを確認できました。

宿に戻り、ちょうど前の日からダカールを訪れていたNホリさんにもご挨拶し、夜は山田さんにシーフードのお店に連れて行ってもらうことになりました。

若くして単身アフリカに渡り、一人で宿を開くなんて私たちには想像も出来ないほど大変なことだろうと思います。そんな苦労は語らずにゲストの私たちを笑わせて下さる山田さん。そしてスマートにフランス語であれこれ注文して下さります。


新鮮で美味しい魚介がとんでもなく安いダカール。

Nホリさんもお仕事でアフリカ各国を何度も訪れているようで、イスラム圏の話題に花が咲きました。セネガルはイスラム教徒が大半を占めており、モロッコと同じく合言葉は「イン・シャッラー」(アッラーが望むなら)。

久々にスカートを履いて海辺でご飯を食べたことが凶となり、足下を大量のノミにやられました。

ンゴール島

翌日は、ダカールの北側に位置するンゴール島に行ってみることに。

まずはタクシーで船の出る場所まで移動。タクシーを降りると、「ンゴール島に行く船はこっちだ」というお兄ちゃんに導かれ、黙ってついて行きます。

船のチケットを買う場所を指差しながら、「船が出るまで時間があるから、僕の村を案内するよ」と言ってまた歩き出しました。

(これ、お金払うやつかな〜)と夫とヒソヒソ話しながらついて行き、漁師の集落のような場所に到着。

一通り集落を回った後に、「ガイド料はいらないけど、今見てもらった村のみんなにクスクスを買ってあげたいんだ。小さいのか大きいの、どっちを買ってくれる?」と言い出す彼。なぜ二択…!夫がクスクスの値段を念のため聞いてみると、とんでもなく高い。
そんなに払えるわけないよ、と言うと、不満そうに「別にいいよ、テランガ(おもてなし)だから…」と言いつつも、船乗り場までの道中ずっと夫に金を要求。
村も見せてもらったし、と結局少し渡しましたが、「テランガの国」を語りながらお金を要求するのはやめて欲しいなと思いました。

船は往復1000セーファ。セネガルの通貨の単位が大きくて、毎回ビクッとしますが、1000セーファで200円しないくらいだと思います。

船は完全に砂浜に上がって来ないので、こちらから膝くらいまで海に入り乗船。座る部分もびしょびしょ。でも一瞬でンゴール島に到着です。

ふらふらと島を回った後は、お待ちかねのヤッサタイムです。


魚のヤッサ、ヤッサ・ポワソン。

観光地価格で高かったけれど、美味しい…!割とマイルドでお義母さんの味に近い。でもソースが少ないので70点!

ヤッサを食べ終わってのんびりしていると、到着した船からほろ酔いのNホリさんが降りて来ました。もう本土で軽く飲んで来たらしく、島を回ることもなく私たちと一緒にのんびり。

帰りの船を待ち、行きで乗ったのより快適そうな屋根付きの船が到着したので乗ろうとすると、「お前らはあっちだ」と言われ断られました。

私たちは行きと同じこっちの船でした。しかも乗る直前の救命胴衣争奪戦に負け、何も付けずに乗船。悲しい。

Nホリさんの今回のセネガル訪問の目的は留学時代の高校の友人に会うことだそうで、今日の夜は日本料理屋に行くと言っていたので私たちもストーキングしてお邪魔させてもらいました。

Nホリさんのお友達はなんと元バスケットボール選手。私は全くもってバスケットボールについての知識はなかったのですが、話を聞いているとすごい人でした。とても紳士で優しく、楽しい時間はあっという間に過ぎて行きました。


久々に本当に美味しい日本料理。

ダカールの人々は容姿端麗でおしゃれな人が多く、すれ違う女性、時には男性にも釘付けになってしまいます。モデルのようにスラッとした人が多く、たるみきった自分の身体と見比べて自己嫌悪に陥る毎日です。

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