スガ旅

夫婦で世界の大自然を歩いた旅の記録

不安たっぷり!南アフリカ滞在記①

ケープタウンへ

Senegal → South Africa

朝方4時頃、シェ山田を出発。こんな時間にも関わらず山田さんは見送りのために起きて下さり、空港までのタクシーも捕まえて下さいました、ありがたや…!

無事空港に到着し、エチオピア航空の窓口でチェックイン。
すると何ということでしょう。エチオピアでの乗り継ぎ待ち時間が8時間以上の場合は、無料でホテルを用意して下さると言うのです。アディスアベバの空港からホテルまでの往復シャトルバスも無料、ホテルも無料、朝夕食事付き。神…!!
「これをアディスアベバで見せて」とバウチャーをもらい、ラウンジでホッと一息。

今回の移動はちょっと変わっていて、まずお隣の国のマリ・バマコ行きに乗り、バマコで私たちはそのまま降りず機内待機、そこからエチオピアのアディスアベバに行きます。アディスアベバでの乗り継ぎ時間が9時間ほどあり、そこから南アフリカケープタウンに飛ぶ予定です。今の今まで、バマコもアディスアベバも知らずに生きてきました。

短時間のフライトですが軽食が出ました。美味しいサンドイッチ!

あっという間にバマコ到着。

降りていく人、新たに乗ってくる人を待ちます。機内待機は初めてです!

ソワソワしながら機内で待機し、無事に出発。今度はエチオピアに向けて飛びます。

初めてのエチオピア航空は、今まで乗ったどの飛行機よりも映画が充実!スター・ウォーズシリーズを始め、映画館で観そびれた「ライオン・キング」の実写版や「トイストーリー4」、ガガ様の「A Star Is Born」など新作を始め、「インターステラー」や「ゴーン・ガール」、「グラントリノ」などの名作、さらに私のために用意したと言っても過言ではないハリソン・フォードの「逃亡者」やジュディ・ガーランドの「オズの魔法使い」まで網羅!
これだけでも全然時間が足りないのに、ドラマ枠で「24」まで入っている…!
寝ている夫の横で順調に映画を鑑賞し、ほぼ眠れませんでした。


エチオピア航空、愛しています。

無事にアディスアベバに到着した私たちは、バウチャーを握りしめていろんな人に聞きまくり、入国手続きに向かいます。イミグレーションは私たちのようにホテルを手配してもらった人々でごった返しており、なかなか進みません。「もしかしてビザ代発生するのかな…」と心配していましたが、無料で入国できました。

この時点で到着から1時間以上経過。

今度は空港の外に出るために並びます。どんどん抜かす人が続出し、あわや喧嘩になりそうな怒号が飛び交っていました。私もイライラしました。

空港の外のシャトルバス乗り場はカオスとなっていて、「バウチャーに記載されたホテルはもう満員だから振り返る」と言われた客たちがスタッフに詰め寄り、すでに到着から2時間経過していたのもあってみんな怒りが爆発していました。
エチオピア航空のホスピタリティは素晴らしいけれど、段取りが悪すぎてかえってクレームが続出する悲劇。かわいそうなエチオピア航空。

もう空港泊でよかったんじゃないかというくらいぐったり疲れてホテルに到着。無駄に広い部屋で3時間ほど仮眠します。

風呂に入る気力もなし。

なぜかNIKEのスリッパ。なぜか1組。

夕飯と朝ごはんも出ました。エチオピア料理?を急いで味わいます。

これがエチオピアコーヒーか…!

何だか余計に疲れてしまったけれど、無事空港に戻って来ました。

今度は南アフリカ・ケープタウンに向けて出発です。映画がたくさんあるので退屈しません。

それにしてもアフリカ大陸は広い。勝手な予想で、アフリカ大陸は安く旅行出来ると思い込んでいましたが、航空券代は高く、陸路にしても通過国でビザ代がかかります。安全を優先すると自ずと費用も嵩み、アフリカ大陸内でいろんな国を回ろうと思っていた夢は崩れました。安全第一で、無理をせずに的を絞って旅行します。

今回訪れる南アフリカですが、世界各国の殺人発生率ランキング上位に入っており、この旅で一番気を引き締めています。1994年までアパルトヘイト(人種隔離政策)が行われていたことは有名ですが、廃止からまだわずか25年。私が小学生の頃にそんな制度がこの世にあったことが、未だに信じられません。
まさに渦中だった人々は、今はどのように暮らしているのでしょうか。なかったことのように過ごせるのでしょうか。

ケープタウンに降り立つと、ネルソン・マンデラ元大統領の大きな写真が出迎えてくれました。

空港でSIMカードを購入し、ATMで現金を確保。タクシーは怖いのでUberを呼ぼうとしていると、「僕Uberの運転手だよ!」という若い青年が声をかけてきて、Uberに表示されている金額より安くしてくれたので、彼の車で宿泊先へ。
ちょっと不安に思っていたけれど、車を見ると綺麗だし、人も良さそうなのですぐに安心しました。
でも後からよくよく考えると不用心だったかな…。

無事に今日から一週間お世話になるairbnbの部屋が入っているビルに到着!何でもアールデコ建築の例として世界的に有名なビルらしく、そんな場所に1週間3万円で滞在出来ます。安いホテルはいくらでもありますが、治安面が心配だったため、セキュリティがしっかりしていてコミュニケーションもしっかりと可能なイギリス人夫婦がホストのお宅を選びました。

事前のやり取りでビルの入館証を取得し、レセプションにいるセキュリティスタッフに部屋まで案内してもらいます。

ビル内部は外観とは裏腹にとても新しくきれい!

これは安心して滞在出来そう。
部屋ではホストのアンとアンディが待っていてくれました。部屋の案内の後、ビルの出入りの仕方などを丁寧に教えて下さり、「何か困ったことがあったらすぐに連絡をしてね!」と言って去って行きました。

airbnbではホストに会わずにチェックイン出来る物件もありますが、治安が不安な場所では顔を見て話すことで幾らか不安が解消されます。また、南アフリカは現在干ばつによって深刻な水不足に陥っており、節水の仕方を教えていただけたのはとても助かりました。

部屋はとても広く、ベッドルームが2部屋、バスルームも2部屋、リビングルームにキッチン、大容量の冷蔵庫にはアンが気を利かせてワインやジュース、卵やパンなど使えそうなものを用意してくれていて、調味料も調理用具も全て揃っていました。
洗濯機も食洗機もあり、一週間ゆっくりと自宅のように過ごせそうです。

基本的に、市民が使える水の量は1日一人当たり105リットル。シャワーは2分以内とし、お湯が出るまでの水は垂れ流しにせずにバケツに溜め、トイレを流すときに使います。歯磨きはコップ一杯の水で済ませ、食洗機は満杯になってから使うこと。(食器の量が多い理由が分かりました。食洗機で1回に使う水の量は、内容量に関わらず同じだそう)
トイレは小の時は流さず、大の時だけ流すこと。


今日からは夫に「流せよ!」と怒ることもなくなります。

私たちは旅行者なので絶対ではありませんが、南アフリカ国民に推奨されていることは私たちも見習おうと思い、今日から節水の日々が始まります!
バスタブにお湯を溜めて入ろうとウキウキしていましたが、アフリカでは叶わなさそうです…。

この日はビルの裏にあるアジア料理のフードコートでカレーをテイクアウトし、アパートで食べました。

———————————————————————

気持ちが弛まぬよう、旅行ブログランキングに登録してみました。クリックして頂けると励みになります!

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

夫のセネガル帰省③

太郎少年が過ごした家

ゴレ島から戻ったその足で、夫が住んでいたというマンションまで歩いて行く事にしました。

都会ではありますが混沌とした路地を歩き、「シノワ?シノワ?」と呼ばれる声を無視し、たまに空いている穴に落ちないように足元をしっかりと見ながら集中して歩きます。

こちらが当時太郎少年が住んでいたマンション。大きくてびっくり。そしてもう30年以上前なのにまだマンションがあったことにもびっくり。

感傷に浸る夫を見たかったのですが、やはり記憶は蘇りませんでした。1階の外にはたくさんの物売りが商品を持ってウロウロしており、写真を撮って足早にその場を後にしました。

せっかく都会に来たので、道端のネスカフェ(と書かれたインスタントコーヒー屋台があります)以外のカフェに入りたいと思い、ちょっと高めのカフェに入りました。

ケーキも美味しそうだったので注文し、至福のコーヒータイム。周りはスーツを着たビジネスマンばかりでした。

マジックランド

次に向かったのは、ダカールのミステリアスな遊園地「マジックランド」。

ミッキーマウスが居るらしいと聞いていたのですが、入場してみると私たちのほかに客は5名ほど。これは期待が薄まります!


ガラガラ。


ガラガラ。

やっているのか閉まっているのか分からないアトラクションばかり。スタッフはいません。入り口で入場料と引き換えにもらった10枚綴りのチケットを握りしめ、乗れそうなものを探します。

スタッフはいないけど迷いこんだヤギは発見。

何キャラでしょうか。

園内を回れば回るほどコンセプトがわからない。喜ぶ子供はいるのでしょうか…!

誰…!

お化け屋敷風のアトラクションで、ようやくスタッフを発見!乗る時にチケット4枚をもぎ取られました。
このお化け屋敷、衝撃の手作り感で終始爆笑でした。とにかく中は漆黒の暗さで、何かが顔に当たりましたが何かはわかりませんでした。この満足感は体験した人にしかわからないはず!

お化け屋敷が終わると、スタッフのお兄さんに「次何に乗りたい?」と聞かれたので、目の前にあった「DISCO」という乗り物を指差しました。
「DISCO」にはスタッフは居なかったのですが、どうやらスタッフはお客さんの乗りたいものに合わせて移動するみたい。私たちの専属スタッフです。

私たち二人だけで「DISCO」に乗り込むと、お兄さんがスタートしてくれます。始めは緩やかに回っていた「DISCO」でしたが、しだいにとんでもない速さになり、遠心力で外側に押し出されそう。
もう止めて…!と思ったときにゆっくりになったのでホッとしていると、なんと今度は逆回転し出しました。30代に入ってから三半規管が弱くなったのか、どんどん気持ち悪くなってきます…。お兄さんに「もういいよ!」と表情でアピールするも、明らかに私用の電話中で全然目が合いません。

無事に「DISCO」が終わり、残されたチケットはあと2枚。どれに乗れるのかも分からずお兄さんに聞くと、「車」と言われました。

私たちの初マジック・ランドのフィナーレを飾るのは、こちらの乗り物です。動くたびに天井から火花が落ちてきてスリル満点!そしてよく故障して止まります。


色あせたミッキーマウス。

今日はミッキーマウスに会えないと思っていたけど、やっと会えました。

3つのアトラクションに乗りましたが、もうだいぶ満足したのでマジックランドを後にします。
もう一回来たいかと聞かれると、正直もう一回来たいですね。

ダカール最終日

翌日、フランス語学習のためにダカールに来ているマエケンさんが、ヤッサを食べたことがないというので早速近所の定食屋に連行しました。

残念ながら今日は細い麺を炊いたものでしたが、ソースがヤッサプレ(玉ねぎソースと鶏肉)!
個人的には米にかけて食べるのが一番好きですが、これはこれで美味しゅうございました。

その後3人で近くの浜辺に行き、筋トレしている人を眺めながらのんびりとお茶をしました。
マエケンさんのお仕事を聞くと、やはり途上国支援関係で、幅を広げるためにフランス語を学ぶことにしたそうです。セネガルで出会う日本人はみなさん偉大でした。

宿に帰ると、朝にちょっとだけお会いした大学生のケンちゃんがいました。ケンちゃんもフランス語留学でこちらに来ているようで、礼儀正しく素直でとてもかわいい男の子。どうやったらこんなにいい子に育つんでしょうか。

ケンちゃんと話していると、お仕事でセネガル滞在中のお二人が帰ってきました。手には何やら箱を抱えています。

私たちは明日の夜中に空港に向かうので今日が最終日なのですが、なんと私たちのためにケーキを用意して下さったのです。

アフリカのケーキとは思えないほど美味しいケーキで、何よりもこんなサプライズがあるとは夢にも思っていなかったので感激してしまいました。

さらに夕飯までご馳走していただき、このご恩をどう返していいかわかりません。日本を出てから半年強経ちますが、実家のように温かい空間で1週間過ごすことが出来て、十分にエネルギー補給が出来ました。
全ての日本人宿がそうなのかは分かりませんが、この1週間同じ屋根の下で一緒に過ごした方々が特別良かったんだと思います。人に恵まれました。


男ばっかり!

山田さん、H田さん、M田さん、ケンちゃん、マエケンさん、Nホリさん、本当にお世話になりました。きっといつか北海道に遊びに来てくださいね!


———————————————————————

気持ちが弛まぬよう、旅行ブログランキングに登録してみました。クリックして頂けると励みになります!

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

夫のセネガル帰省②

日本人宿「シェ山田」

シェ山田の横には商店があるので、朝からパンやバターを買って宿にていただきました。キッチンも冷蔵庫もあるので自炊も可能。

常備しているピーナッツバターがあるのでとても満足な朝ごはん。

お昼ご飯には、再び山田さん行きつけのシェ・バッジへ。ヤッサを食べに行ったのですが、ランチは日替わりのようで本日は「チェブジェン」。

お魚を使った炊き込みご飯のようなものです。味も辛くなくて美味しい!

シェ山田の前の通りは未舗装路。たまに空いている穴には漏れなくゴミが投げ捨てられています。

この日は、私たちよりずっと前からお仕事で滞在中のお二人がケーキを買ってきてくださいました。H田さんとM田さんは、世界中の途上国にて電気を届けるお仕事をされています。
毎日食べて寝ているだけの私たちとは真逆で、かなり忙しそうなお二人。日本から持ってきている美味しいコーヒーもご馳走になってしまいました。

夫のお義父さんも然り、途上国に赴任する技術者の皆さんは、過酷な環境下での長期滞在となります。同じ感覚を持った日本人と働く訳ではないので、私たちの中での「当たり前」が通じない人々と働くということはどんなに大変なことでしょうか…。言葉も文化も違うところで指示を出すなんて、本社勤務の人が地方支社の責任者として赴任する、という状況より遥かに厳しいはず…。

しかしお二人を見ていると実に生き生きとしていて、まさに天職なんだろうな、と羨ましくなりました。お二人もやりがいを感じていることでしょうが、何より、お二人のお仕事は世界中の途上国の人々の生活を助けています。

夜ご飯にピザまでご馳走になってしまい、本当に申し訳ない…!楽しそうにお仕事のお話をする二人を見て、私も夫も仕事が恋しくなりました。二人のお仕事が忙しくなかったらもっとお話をお聞きしたかった…!

Nホリさんがご出発されたので、今日はドミ部屋を貸し切りです。
シェ山田は毎日洗濯の無料サービスがあり、手洗いをしなくて済むので本当に助かります。
オーナーだけど友達のような、たまに本音がぽろっと出てかわいい弟のような、絶妙で居心地の良い山田さん。
彼はいつも程よい距離感に居てくれて、暇を持て余していると軽快なトークで私たちを楽しませて下さいます。

みんなでワイワイと楽しんだ後は、扇風機を直風で設置して就寝。

ゴレ島

今日は世界遺産にもなっているゴレ島に行ってみることにしました。
ゴレ島は、その昔奴隷貿易の拠点となった島で、現在は観光地となっています。

まずは船乗り場まで行くためにシェ山田の近くを通ったタクシーと値段交渉。一度は決裂したものの、私たちがタクシーを離れていくと運ちゃんに「わかったよ、乗れよ」と言われ値切りに成功。
それを見ていたおじいちゃんから、「立派なセネガレーゼだ!」と褒められて嬉しい。

ゴレ島にはプラトー地区から船で渡ります。ンゴール島の船とは違うしっかりした船なので安心。
チケットを買って、売店を物色。


待合室。

サータアンダギーみたいなお菓子があったので買ってみました。

味も形もまるでサータアンダギーでした。美味しくて船に乗る前に完食してしまいました。

船が到着しました。観光客と地元の人が混ざって乗船。ちなみに料金は、セネガル在住者、アフリカ在住者、それ以外、で値段が異なります。私たちは一人1000円くらい。

ゴレ島が近くに見えてきました。ドキドキします。

ゴレ島に上陸すると、みんなバラバラと自由に降りて観光スタート。と思いきや、チケット売り場の人に呼び戻され、入島料を支払います。気がつかない人も多そう…。

先にご飯食べちゃう?と夫と話していると、背の高い自称ガイドの男性が英語で話しかけてきました。
もともとガイドを付けて回りたかったので、値段を聞いてみると10,000セーファ(2,000円くらい)。問題なかったのですが、先にお昼ご飯を食べたかったため、1時間くらい後からガイドして欲しいと伝えると、私の英語力のなさのせいか、「じゃあ8,000セーファ(1,500円くらい)でいいよ!」となぜか安くなりました。
安くしてくれるのはありがたいんだけど、昼ご飯食べるの待っててくれる?と念押しで言うと、私たちが値切った訳ではなかったことを理解した上で「ああ、そういう事だったのか…わかったよ、1時間後に来るね…」と少し落ち込みながらもおすすめのレストランを教えてくれました。

彼が教えてくれたレストランは、ンゴール島よりも安く、何よりもヤッサがありました。
ソース少ないな…と思いながらも90点のおいしさだったのでご機嫌で貪り食べていると、お店のお母さんが「おかわりいる?」と聞いてくるではありませんか…!おかわりいる!!

何ということでしょう。贅沢にもボールに入ったソースを持ってきて下さいました。もう100点です。エンドレスヤッサです。

たらふく食べた後は、ガイドの彼と島内を周ります。

フランス語ガイドは絶対に無理、英語ならなんとか、と思ってお願いしましたが、私たちにはなかなか厳しいガイドツアーとなりました。

この辺の建物がなんだったのか全く記憶に残っていませんが、ガイドの彼が途中でいとこに呼び止められ、電気代だか水道代を払ってないとかでケンカをしていたのだけはしっかりと覚えています。

ゴレ島にはお土産屋さんもたくさんあります。途中で砂絵の工房も見せていただきました。

小さい頃に砂絵にハマった事を思い出しました。荷物になるのでお土産は購入せず。

椰子の木かと思ったら、よく見るとスピーカー。よく作ったものです。

丘の上に行くと、日本語ペラペラのお兄さんが。彼もまた砂アートを製作していました。日本に住んでいたことがあるらしく、「赤羽」という単語が出てきて驚きました。

恐らく島で一番の見所である、「奴隷の家」にやってきました。

1階部分が「商品」である奴隷が出荷を待つ場所、2階が商人の部屋だそうです。2階は工事中だったので、今回は1階部分だけ見学させていただきます。

こちらは子供専用の奴隷部屋。女、子供、男と部屋は分けられており、体重が60kg以上の男は高く売れるので、60kg以下の男は麦やコーンなどを食べさせられ、太らせてからの出荷となったそうです。

女の子も高く売れたそうです。子供と母親は別の部屋に入れられ、母親は壁を隔てて子供の泣き声を聞いていたそう。

今では人のすることとして考えられませんが、人が人を物として扱う時代があったことは事実です。アフリカに来ていよいよ辛い人間の過去に触れることになりましたが、私たち日本人もそうそう非難出来ることではありません。私たちにも目を背けたい過去の罪はたくさんあります。

こちらは所謂「お仕置き部屋」。脱走や自殺を試みた人はこの階段下の狭い空間に押し込められたそうです。脱走と言っても海に囲まれた島のため、どちらにせよ命を絶つ事を選んでいたのでしょう。

「Door of no return (帰らずの扉)」と呼ばれている海に向かった出口。ここから彼らは出荷されて行ったそうです。大西洋を渡りアメリカ大陸に売られて行く彼らが、アフリカ大陸と別れる最後の場所。

手にも足にも鎖をかけられ、長い航海の中生き延びられない人も多かったとか。生き延びてアメリカ大陸に辿り着いた暁には、今度はプランテーションでの過酷な労働。そして船は砂糖や綿花を積み、ヨーロッパに向かいます。これが「大西洋三角貿易」…。今のアフリカ以外の世界の発展は、彼らの労力なしには叶わなかったことでしょう。

私たちがアメリカ・ルイジアナ州で訪れることこそ出来なかったけれど、行きたくて調べた広大なプランテーション、スペインからポルトガルに南下して訪れたのは大航海時代の象徴でもあるロカ岬。

全てが繋がっていて、それぞれの国の発展とともに犠牲になった人たちがいたことを知ります。歴史というものをこれほどまでに重く考えたことはありませんでした。当たり前だけど、教科書の中だけの話ではなく、全てがあって現在の世界になっているんだ。


「奴隷制からの解放」像


ゴレ島にはそんな暗い過去を感じさせないくらいののんびりとした平和な空気が流れていて、人々は笑顔でこんな無知のアジア人に話しかけてくれます。

帰りのフェリーに乗りながら、映画「Amazing Grace」を思い出していました。
「アメイジング・グレイス」は知らない人がいないほど有名な歌ですが、この歌がどのような歌なのか、この映画を観て初めて知りました。

この曲の作詞者は元奴隷船の船長で、彼が奴隷貿易に関わった事を悔い、それでも赦してくださった神への感謝の気持ちを綴ったものがこの歌です。


映画『アメイジング・グレイス』予告編


奴隷解放の後も現代まで続く人種差別や人身売買。全てがなくなる時代は来るのでしょうか。
生まれた頃から選択する自由があり、満足な暮らしを送って来た私の境遇に感謝するとともに、頭を殴られて目が覚めたような感覚を味わいました。
未だに奴隷時代の尾を引いて発展途上にあるアフリカ諸国。
旅行者の私から見ると交通ルールはめちゃくちゃだしインフラは整っておらず、衛生的にも心配。それでもそこで暮らす人々がいました。そこには生活がありました。彼らの生活を向上させるために尽力している人々がいました。
モロッコにいた時に、「砂漠の中にホテルなんか建てずにそのままでいて欲しい」と強く思っていましたが、発展を遂げた自国に自然が残されていないからと、まだ途上中の国に自然を求めて出向き、そのまま発展しないで欲しいなんて、なんて傲慢な考えだったんだろうと恥ずかしくなりました。


———————————————————————

気持ちが弛まぬよう、旅行ブログランキングに登録してみました。クリックして頂けると励みになります!

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村