スガ旅

夫婦で世界の大自然を歩いた旅の記録

二度目のカミーノを終えて

DAY39

いつもの癖で朝6時半には起床。8時から近くのカフェが開くようだったので、朝ごはんを食べに行く。

トスターダはある?とカウンターのお姉ちゃんに聞くと、ある、メニューを見て!と言われる。
席に座りメニューを見ると、朝ごはんセット、トスターダ、カフェコンレチェ、オレンジジュースで6€。高っ!でもサンティアゴだから仕方がないか、観光地価格だ…。

注文して出てきたのは今までで一番手の込んだトスターダ。両面バターで、フライパンで焼いている。イチゴジャムを塗ってむしゃむしゃ食べた。美味しい!オレンジジュースもでっかいコップに満タンだ。高いとか思ってごめんなさい、6€の価値ありだよ…!

ホテルに戻り、パッキングを済ませて荷物を預け、9時半頃に巡礼事務所へ。証明書をもらうためだ。

巡礼事務所はこの時期は10時オープンで、まだ20人くらいしか並んでいなかった。
10時少し前に扉が開き、続々と中に入って手続き。私は16番目だったけど、すぐに証明書を発行してもらえた。クレデンシャルの最後のパブモモのスタンプを見たスタッフが、モモに行ったの?いい店だよね!と私の名前も見ながら笑っていた。

証明書の発行手数料をレジで支払い、保管用の筒も今回も購入。マティアスも遅れて入ってきて証明書を受け取っていた。

その後は6年前にマリアと行ったカフェに行ってケーキとコーヒーを注文して時間を潰し、11時過ぎに大聖堂に向かった。

巡礼者のミサは12時から。ギリギリに行くと席が埋まってしまうと聞いたので、早めに入った。

正面の献金箱に、セビージャで出発初日にサブリナから預かった5€を入れ、キャンドルを2つ灯して、ありがとう、とお祈りした。サブリナとの約束は果たせた。
この5€がなかったら、もっと早い段階で諦めていたかもしれない。みんながつまらないからタクシーに乗ると言っていた道路も歩かなかったかもしれない。ちょっとの迷いが出た時、頭の隅っこでサブリナの5€を思い出し、「歩こう」と思えた。
歩いてサブリナのキャンドルを灯しに行かなきゃ、と。結局80kmは電車を使ってしまったけれど、サブリナも許してくれるだろう。

正面の席はかなり埋まっていたけど、左右の席はまだガラガラだったので向かって左に伸びる席に座らせてもらった。

12時からミサが始まり、スペイン語があまりにもわからなすぎて少しウトウトしてしまった。ミサの最後に赤いローブを着た若めの男性が何人か出てきて、ボタフメイロのロープの所に集まった。えっまさか…!今日見られるの…?!

誰かが献金をしてくれたおかげで、ボタフメイロの儀式が始まった。吊るされていた香炉にお香が入り、白い煙が上がる。太いロープは何本もあり、1本ずつ男性が持つ。
香炉は左右に揺られ始め、どんどんと高く高く振られて行った。ついに私の頭の上まできて、白い煙が降りかかる。涙が出た。撮影は禁止なのでひたすらにこの目に焼き付けた。6年前には大聖堂は修復中で、大聖堂でのミサはもちろん、ボタフメイロの儀式も見ることができなかった。こんな嬉しいことはない。

儀式が終わった後も白い煙は大聖堂内に残り、太陽の光を受けてとても美しかった。しばらくボーっと見つめていた。

「Tiraboleiros」と呼ばれる8人の赤いローブを着た男性がロープを引っぱり、徐々に香炉の振り幅が大きくなっていく。振りによって翼廊の天井近くまで香炉は届くほどになる。この時のスピードは68km/hにも達し、聖堂に集った民衆に香が行き届くようになる。

Wikipedia より引用

- YouTube
動画を見つけたので貼り付けておきます

元々の始まりは、11世紀頃。サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に到着した巡礼者は疲れ果てて不潔な状態の人がほとんどだったため、ペストや伝染病の予防としてこの振り香炉が使われたそうだ。現代の私たちは毎日シャワーも浴びられて不潔感はゼロだけど、この儀式を今も尚続けてくれているのがありがたい。見られたらいいな、と思っていたけど、まさか今日見られるなんて。

ミサの後はお腹を満たすためにバルへ。二人なのにものすごい量が来てしまって、頑張って完食。美味しかった。

お土産屋さんを回ったり、大聖堂の広場に戻ったり、サンティアゴの旧市街をぐるぐるして満喫。
20時に夫が先にバスターミナルへ行き、私は仲間たちとお別れするためカフェへ。
みんな「旦那さんは?」と聞いてきたけど、「私がみんなとゆっくり過ごせるように時間をくれたんだ」というと、いい旦那さんね、と褒められた。

マティアス、ソフィア、ボブ、イングリッドが集まってくれて、いつもの他愛もない会話をし、最後はそれぞれとギュッと抱き合ってお別れ。みんな耳元で、「一緒に歩いてくれてありがとう」と言ってくれて、別れるのが辛かった。イングリッドが今にも泣きそうだったので、笑顔でまたね!と元気に外に飛び出した。

今回も素晴らしい人たちに出会えた。来なければ出会えなかった人たち。国籍も背景も年齢もみんなバラバラの、大切な仲間たち。
歩くことができなかった80kmには意味があり、足を痛めたことにも意味があった。全部これでよかったと思える。

昨日歩き終えた時は「やっと終わった…!」と思っていたのに、もう朝起きてバルに行って歩き出す毎日は終わったんだと思うと寂しくなった。夢のような38日間だった。

雨が降る中バスターミナルに行き、夫と合流。帰国に向けてここからまた長旅だ!

まずはマドリード空港行きの深夜バスに9時間半。
朝到着したら今度はローマ、そして乗り継いでアテネへ。
アテネの空港で夜を明かし、次の日の朝にシンガポールへ。シンガポールに着くのは真夜中で、空港で夜を明かしてホーチミンへ。すぐに乗り継いでダナンへ。そこでやっとホテルで寝られる。

今は夜中の1時、アテネの空港でこれを書いている。

銀の道を歩き終えて

銀の道を振り返ると、天候や路面状況、そしてあそこまで歩かないと寝られない、という村と村の距離も含めて、フランス人の道を歩いた時と比べて過酷だったと言える。でも、時間をかけて歩けば辿り着ける。色んな人に「ポコ ア ポコ(少しずつ)」と言われたのは、こういうことだった。
時間に余裕がないと、気持ちも焦る。長い休みをもらって、「時間がない」だなんて、私の計画に欠陥がありすぎた。
足を痛めた理由は挙げればキリがない。ストレッチやトレーニングを怠っていたこと、快適なトレッキングシューズを選ばなかったことなど。

今回はハイキング用シューズではなく、ワークブーツで旅をした。なぜなら単純にこの靴と一緒に旅をしたかったからだ。
この時点で快適さは求めていなくて、昔の巡礼者はもっと粗末な靴だったんだから足の環境が悪くなっても頑張ろうと思っていた。
予想通りすぐに足裏に水ぶくれができたけど、それは前回同様、しっかりしたトレッキングブーツを履いた他の巡礼者も水ぶくれはみんなできるものだ。でも最後までこの靴を変えることなくゴールできたことに満足している。
今回身につけていたもの全てに対して文句なく、満足している。「こうすればよかった」という感情は不思議と1mmも浮かんでこない。

私は足を引きずって歩いていたので目に見えて大変そうだったと思うが、そんな私を讃えてくれた仲間たち。彼らこそ称賛に値する。足は引きずっていないものの、皆足や身体にトラブルを抱えながらも、それを見せずに私を励ます心の広さに感動した。
私は自分の痛みでいっぱいいっぱいで、他の人の身体を気遣う余裕なんてなかった。

この足の痛みを知ったおかげでこれからは人の痛みも理解できる、理解しようと務められる人間になりたい。

今回の旅は、夫と離れて初めて一人で長距離を歩く旅だった。正直、フィジカルよりもメンタルの方を心配していた。結果、私が心配すべきはメンタルよりもフィジカルだった。やってみないとわからなかったことだった。途中足が痛すぎてパニックになったけど、夫や家族、友人に支えられた。
苦しいことがあると、大切なものが何か見えてくる。

今回サンティアゴに到着して泣いたのは、私にとって壮絶な38日間だったからだろう。やっとの思いで到着したからだろう。ギリギリだったからだろう。無理はした。無理ができたのは周りの人々のおかげだ。日頃運動もろくにせず体力もないのによく頑張ったと思う。つらかった分感動もでかい。

マティアスがこんなことを言っていた。
「帰って周りの友人に聞かれるのはどんな装備で行ったのとか、いくらかかったの、とか、そういうことだけど、ここでの"LIFE"については聞かれない」

このブログを読んでくださった皆さんに、少しでも私が過ごしたカミーノでの"LIFE"が伝わりますように…。

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