スガ旅

夫婦で世界の大自然を歩いた旅の記録

束の間のポルトガル

ポルトで数日間の休養

マリアと別れた私たちは、ヨーロッパ内の格安バスでお馴染みのFlixBusにてポルトガルに移動しました。

バスはあっという間にポルトに到着。あいにくの雨です。
カミーノを歩いている時は、サンティアゴからポルトガル人の道を通ってポルトまで歩こうとか、自転車を借りてキャンプしながら行こうとか言ってましたが、体力と体調と天候を考慮してバスにしました。


B級グルメのフランセジーニャ。

ポルトでは観光はほぼせずに、ぶり返した風邪を治すべくairbnbのアパートでゆっくりしました。
街の中心からは遠いけど、観光よりも療養が第一なので問題なしです。


エッグタルト。

カミーノ仲間のギレンヌ&セバスチャン夫妻ともポルトで再会し、一緒にご飯を食べました。

ギレンヌは、ポルトの街なかでカミーノの矢印を発見したんだと嬉しそうに話していました。きっとみんな、矢印を追う毎日が終わってしまって寂しいんだろうな。
彼らは明日からレンタカーを借りて南下し、2週間ポルトガルを満喫すると話していました。


いつもエレガントなご夫婦。

ポルト最終日にやっと晴れたので、少しだけ街を散策しました。魔女の宅急便みたいな街並みが美しかったです。

ポルトからレンタカーで南下

観光地で何をしたらいいのか戸惑ってしまう私たちは、レンタカーを借りてキャンプをすることにしました。

ポルトガルではマニュアル車が普通なのか、オートマ車を選択すると値段が跳ね上がりました。

途中で寄った薬屋さんのお兄さんが英語も話せて、症状を伝えると効き目バッチリの薬を出してくれました。飲む数なども英語で書いて貼ってくれて、優しさに涙が出そうでした。

ポルトガルのキャンプ場は、閑散期なのか全く人がいませんでした。ポルトガルではキャンプ場以外でのキャンプは禁止で、焚き火も固く禁止されていました。JMT以来のテント泊でしたが、焚き火の出来ないキャンプに少しだけテンションが下がりました。


かわいい共用キッチン。

とても綺麗に管理されているキャンプ場でしたが、1泊だけにしてさらに南下することにしました。

次に訪れたのはナザレという町。サーフィンが有名らしく、久々に海を見ました。


コーンの部分がチョコレート!

とてもかわいい町だったので、急遽ホテルを探してここで一泊することに。薬が効いたのか、体調もすっかり良くなってきました。


雲が西洋画の雲。

翌日はユーラシア大陸最西端のロカ岬を訪れました。
カミーノでフィステーラを訪れることが出来なかったので、最果ての地に来たかったのです。


「ここに地終わり海始まる」

とくに駐車場代も取られませんでしたが、どんどこ観光バスが押し寄せるので、少し休憩してすぐに出発。

都会のリスボンは通り過ぎます。

この日のキャンプ場に到着。2人で1泊1,700円くらい。夕食は外で済ませ、完全に寝るだけのキャンプです。焚き火も出来ないし。

ポルトガルでのキャンプを楽しめないと悟った私たちは、一気に返却地に近い場所に南下することにしました。

2泊で3,700円と、キャンプ場並みに破格のアパートホテルを発見し、ここでゆっくりすることに。久々にスーパーに行き、自炊しました。

駆け足でポルトガルを縦断しましたが、私たちの目的地はさらに南、再びスペインに入ります。

レンタカーをポルトガルのファロ空港で返却したのち、FlixBusにてスペインのセビーリャへ。

バスの乗り継ぎ時間に最後のタパスを楽しみ、夜のバスでスペイン南端の港町、タリファに降り立ったのでした。

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カミーノ後記

38日目

朝8時に巡礼事務所が開くので、朝7時50分頃に着くように向かいました。

開館前から長蛇の列!8時にオープンすると、すぐに中に通されて整理券が配布されました。この整理券システムがかなりハイテクで、QRコードを読み込むと何人待ちか一目で分かります。
巡礼事務所で再会したサリーとマリア、私たち夫婦の4人で近くのカフェに行き、自分たちの番を待ちながら朝ごはん。

スペインで一度も試したことのなかった「コラカオ」を注文してみました。牛乳に入れて溶かすタイプのホットチョコレートです。寒かったのでとってもあったまる…!

みんな無事にコンポステーラをゲット!サンジャンからだと779kmなんですね。ずっと800kmだと思ってました。コンポステーラを入れるホタテ柄の筒も購入しました。卒業証書みたい。

マリアと夜会う約束をして一度別れ、私たちもホテルへ戻ります。

戻る途中のカフェでホットチョコレートとチュロスを楽しむ夫。日本を出てからすっかり甘党になってしまいました。

薬局で購入した咳止めが抜群に効いています。タブレットを水に入れ、炭酸水のように飲むのですが、味も美味しい。もっと早く買えばよかった…!

サンティアゴに数日滞在しているダグから、夜ごはんを一緒に食べてお祝いしようと連絡が来ました。マリアも誘って、シーフードが食べられるレストランにて大集合。

マリアはレストランに向かう途中オーストラリアのマイケルと遭遇したと言って、マイケルも連れてきてくれました。ダグとジョンは私たち以外初対面でしたが、すっかり打ち解けてくれてほっとしました。

ゴッドファーザーのようなダグは、この後マドリードで奥さんと合流し、スペイン各地を回った後船でアメリカに帰ると言っていました。若い頃から旅行が大好きで、子供が生まれてからは休みのたびにアメリカ中の州を周り、行ったことがない州はもうないとのこと。私たちとは2日間一緒になっただけなのに、ずっと気にかけてくれていた大好きな二人です。


ホタテの旅が終わります。

マイケルとは二日目のアルベルゲ難民仲間で、あの時のアルベルゲのオスピタレロがロバート・デニーロに激似だったよねと思い出話に花が咲きました。あの時仲間に入れてくれてありがとうと言われ、私は何もしていないけど、胸が熱くなりました。マイケルは足が悪く、いつも足を引きずって歩いていました。みんな歩き終えることが出来て本当に良かった。

明日は昼からミサに参加する予定でしたが、ダグに「巡礼事務所の聖堂で朝から英語のミサをやるから、そっちに行きなさい」と言われ、マリアと私たち夫婦は英語ミサに参加することにしました。
みんなで抱き合っていつかの再会を約束し、解散。
いい夜でした。

39日目

マリアとカフェで朝ごはんを食べてから、朝9時半に巡礼事務所の入り口にある聖堂へ。

スペイン語でも英語でもあまり内容を理解出来る気はしませんが、こじんまりとした聖堂で受けるミサの方が心地良さそうです。

並んでいると、日本人の男の子が!彼はリキ君と言って、まだ学生さんだそう。14歳の頃からカミーノに来るのが夢だった、というリキ君の話に驚いていると、後ろからすっと手が伸びてきて肩を抱かれました。振り向くと、イスラエルの2人組、レウトとシーラでした。彼女たちは全身びしょ濡れで、大雨の中たった今到着したところでした。夜ご飯を一緒に食べる約束をして、私たちはミサへ。


巡礼事務所の小さな聖堂。

ミサでは最初に、全員自己紹介をします。出身地と名前、どこからスタートしたかを立って述べるのですが、あがり症の私はかなり緊張しました…。マリアも「心臓が爆発しそう」と言って、気の小さい私たち。ちなみに私が夫の紹介もしたので、夫は立って前を向くだけの簡単なお仕事。

神父様が巡礼者が無事にサンティアゴにたどり着けたことを祝福し、聖歌を歌い、祈りを捧げたい人は前に出て皆の前で祈りを捧げます。
ある人はアマゾンの森林火災について、ある人は世界中の紛争について。
ミサが終わり、マリアに呼ばれたので祭壇の方に行ってみると、自分の祈りを紙に書いて納める場所がありました。3人とも自分の祈りを紙にしたため、祭壇の下にある箱に入れて聖堂を後にしました。

その後は、修復工事中のサンティアゴ大聖堂の見学へ。

映画「The Way(邦題:星の旅人たち)」を観てカミーノの存在を知った私ですが、劇中に出てくるサンティアゴ大聖堂のボタフメイロを見られないのは非常に残念です。これ人入れていいの?というくらい、ガンガン工事していました。

聖ヤコブ像に触れるため、長蛇の列に並びます。写真中央にいるヤコブの背中に触ることが出来るのですが、細い階段を登って内部に入り込む形となっています。

外側からヤコブの棺が見えました。ちなみに内部に入ってからの写真撮影はNG。みんな構わず撮っていましたが…。

工事中にもかかわらずものすごく混雑していて、流れ作業のようにヤコブの背中を一瞬撫でて外に出ました。巡礼者よりも観光客が多いサンティアゴ大聖堂でした。

コンポステーラもゲットし、ヤコブ様にご挨拶もし、ようやく一連の儀式を終えて肩の力が抜けました。私たちは明日の朝サンティアゴを発つ予定で、今夜が最終日です。マリアは明後日ドイツに帰国予定。

大聖堂を出ると、マリアのお友達が待っていました。彼はチェコ出身のロビン。私たちがマリアと会えなかった期間、一緒に歩いていたそう。彼はすでにフィステーラとムシアまでも歩き終えていて、今日の夜の便で祖国に帰る予定だったのですが、フィステーラかムシアで命の次に大事なIDを落としてしまったそう…。それがないと飛行機にも乗れず、今日は警察に紛失届を提出してきたところだと言っていました。かわいそうに…。

ランチ中に思考を巡らせ、チェコまで陸路で帰る決心をするロビン。スマホでバスの手配を済ませて、3度の乗り継ぎを経て、43時間で祖国に着くそう。死んだ目で笑っていました。

サンティアゴでの最後の晩餐は、イスラエルのレウトとシーラ、私たち夫婦とマリア、そしてロビンの6人になりました。レウトたちに連絡すると、さらに2人友達を連れて来たいとのことで、私たちも日本人のリキくんを誘い、全部で9人。大所帯です。

マリアに、ユダヤ教の友達が来るからレストランを選んだ方がいいかな、と相談したところ、ユダヤ教の食事「コーシャ」のお店を探した方がいいか、彼らに直接聞いてみるといいよ、とアドバイスをもらいました。
言われた通りにレウトたちに連絡すると、「どの店でもポテトとかサラダとか食べられるものはあるから大丈夫!それよりも、そんなことを気にしてくれて嬉しい」と返信がありました。

夜、普通のレストランで全員集合。マリアはヘブライ語が話せるので、レウトたちとも一気に打ち解けていました。心のどこかでドイツとユダヤの確執を恐れていたけれど、遅れているのは私だけで、世界は進んでいました。

今現在イスラエルではユダヤ教の新年らしく、私たちでいう正月休みだそうです。家にいると電化製品は使えないわお金は使えないわで何も出来ないので、とにかく家を出たかったんだ、と話すシーラ。彼女のお家は敬虔なユダヤ教のお家なんだろうな。

とは言え、彼女たちはユダヤ教が嫌いだとか、改宗したいなんてことは思っていません。日本人の私たちには到底理解出来る習慣ではないけれど、彼女たちは自分たちの宗教をとても大事にしています。

また、私たちがこの後イスラエルにも訪れる予定があるよ、というと、エルサレムのことやヨルダンのこと、色々なことを教えてくれました。中東は未知の領域なので、とても助かります。

夜中の0時を回ったところで解散。なかなか帰ろうとしないマリアに、夫が「明日のバスは昼だから、朝ごはん一緒に食べる?」と提案。マリアはとても喜んで、「Good job, Taro!」と褒めていました。

店の外でギレンヌ・セバスチャン夫妻に遭遇し、彼らも明日からポルトガルに行くとのことだったので、ポルトで食事する約束をして帰路につきました。

40日目

朝宿を出て、まずは先月サンジャンから発送した荷物を引き取りに、受け取り場所のホテルに向かいます。

フロントで引き換え証を渡し、無事に荷物の受け取りも完了!サンジャンで借りた大きなボストンバッグもここで返しました。

その後、マリアの待つカフェへ向かう途中、小学生の団体に遭遇。一人の男の子から、「質問をしてもいいですか?」と話しかけられたので足を止めると、「どこから来たの?どこからスタートしたの?何日間歩いたの?」とたくさんの質問が。引率の先生が見守る中質問に答えると、小学生の団体は「すごい!」とか「ジャパン!」とか、嬉しそうにお礼を言って去っていきました。

マリアと朝ごはんを食べ、いよいよお別れの時。もちろん寂しいけれど、お互い生きている限りきっとまた会えるはず。「何歳になるか分からないけど、必ず日本に会いに行くね」と言うマリアと長い抱擁を交わし、笑顔でお別れしました。

カミーノを歩き終えて

こんなに長い距離を歩いたのも初めてだし、1ヶ月の間にこんなにたくさんの人々との出会いがあったのも初めてでした。10日を過ぎたあたりで足が壊れ始め、30日を過ぎたあたりで風邪を引きました。荒野を歩くJMTとは全く違う徒歩旅でしたが、たくさんの人の人生に触れ、精神的に成長出来た1ヶ月だったんじゃないかな、と思います。

人を思いやり、助け合い、受け入れ、赦し、赦された1ヶ月。宗教を超え国籍を超え、みんなに平等に開かれたこの道を歩き、得たものは想像以上でした。
世界中の巡礼者がこの道に魅了され、歩き終えたあともオスピタレロとしてこの地に残ったり、移住して巡礼者を助ける側に回ったりしている理由が分かりました。

また、若者よりもシニア層が多いことに驚きました。リタイアして時間が出来てから歩く人が多いのでしょうが、毎日宿に泊まれるし食べ物にも不自由しないため、老若男女問わず誰でも安心して歩ける道なんだなぁと改めて思いました。

巡礼路沿いの町では、小さな村や大きな町に関係なく、住民の方々から「Buen Camino!」と温かい声援を受けることがしばしば。公園で遊んでいる4歳くらいの子供に言われることもありました。これもここに住む彼らの文化であり、巡礼者と共に歴史を重ねていることに感動しました。

スペインを冒険するならカミーノはもってこいでしょう。私たちはバルセロナもマドリードも行ったことはありませんが、誰も聞いたことのないような小さな村々を訪れました。村人より巡礼者の方が多いようなところばかりでしたが、スーパーマーケットはなくても個人商店があり、困っていることを伝えるとみんなが助けてくれる、そんな温かい村ばかりでした。

そしてやはり、何よりも人との出会いです。ここへ来なかったらお互いの人生に触れることのなかった愛すべき人々との出会い。いつかみんなの国を訪れる旅をするのが私の「やることリスト」に追加され、また、彼らを日本で迎え入れるのもとても楽しみです。



カミーノの記録は以上です。泊まったアルベルゲの情報など、後日改めてまとめるつもりです。
このブログを読んでくださった方々からあたたかいメッセージを頂き、日々励まされました。長々とお付き合い頂き、本当にありがとうございます。

この後はポルトガル→モロッコに移動し、アフリカ編を記録していく予定です。私にとっては初めてのアフリカ大陸。私の人生での初めてがたくさん詰まっていそうで、楽しみ半分、不安半分、とにかく健康に留意しながら過ごそうと思います。

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私たちのカミーノ⑰

36日目

Arzua → Santa Irene

昨晩さらに咳が悪化し、同部屋のマリアに申し訳ないので数時間部屋を出て共用リビングのソファにてうたた寝。咳き込みすぎて吐き気も出てしまい、リビングとトイレを行ったり来たり…。

朝になってマリアも風邪っぽいと言い出し、完璧に私が移してしまった模様。ごめんねとマリアに謝ると、「何であなたが謝るの?悪いのはあなたじゃなくてウィルスよ!」と言われ、ドイツにはそんな無茶な考え方あるのかと眼から鱗でした。多分マリアが優しいだけ。

朝早くから開いているカフェに行き、3人で朝ごはん。スペインの朝のカフェはワンオペでサービスしていることが多く、ロボットのように無駄なく動くスタッフさんの機嫌を損ねないよう、タイミングを見計らって注文します。

同じカフェにてオーストラリアのサリーと再会!足が痛くて歩けないと言って、途中タクシーに乗ったりしていたので心配していました。「いよいよ明日サンティアゴに到着するのね!」と嬉しそうなサリー。
トレードマークのみんなのサイン入りの杖を持ち、元気に歩き出す姿を見てホッとしました。

雨が降ったり止んだりする中、私たちも出発です。アルスアの町の中で道が二手に分かれますが、マリアが「私のお腹がこっちって言ってる」という方に進みました。
「何でハートじゃなくてお腹なの?」と聞くと、「お腹の言うことは大事よ。間違えた方向に行くとお腹がモヤモヤすることあるでしょ?」と。よくわからないけどかわいいから何でもいい。

サンティアゴに到着してから巡礼事務所にてコンポステーラを発行してもらい、ミサに参加するのが通例なのですが、私たちは明日の夕方頃までにサンティアゴに到着し、コンポステーラ発行とミサは明後日に回すことにしました。そうすることで時間に追われることなくゆっくり歩く事ができます。

また、歩き始めた時は、マリアも私たち夫婦も巡礼路の最終地点であるフィステーラまで行くつもりでしたが、向こう一週間ずっと雨が続くこともあり、3人とも行かないことに決めました。私たちもあと少しでヨーロッパを出ないといけないし、マリアは早く帰って彼に会いたいと言っていました。

カミーノを歩き終えるということは、一緒に歩いてきた巡礼者たちと別れるということ。この1ヶ月、本当にたくさんの人と出会いました。私たちより先に進んでいたダグとジョンやアルベルタとジョズエ、ノラやエリックからはサンティアゴ到着の知らせが次々に届いてました。
ジンは日程的に私たちに会うことは叶わず、すでにマドリードへ。


ずっと何かを訴えてきたアヒル。

途中の休憩で、マリアがパンくずをくれました。吐き気に効くらしいです。初耳…!

昨晩の咳がかなり苦痛だったので、今日は集団部屋ではなく夫と二人で個室に泊まることに。もちろん高いけど、誰にも気を使わずにちゃんと睡眠を取りたい…。


黄色い矢印を探すのももうすぐ終わり。

3人で歩いたり、それぞれ1人で歩いたり、のんびりと進みます。私が「帰国したらカミーノでよく使ったスペイン語の単語を犬の名前にする」と言ったので、3人で案を出し合いました。
「バモス」
「ボカディージョ」
「ガト」
「バーニョ」
「カマ」
「プルポ」

マリアに、結局バスを使わないで歩いて追いついたね、と言うと、「うん、今は自分がすごく誇らしいわ!誰にも頼らずに毎日自分で起きられたし、薬にも頼らなかったわ!」と笑うマリア。それを聞いて、彼女がここに来る前は病院に通っていたということを思い出しました。きっととても深い絶望の中にいた彼女が、一大決心をして一人でこの道に来て、諦めることなく自力で歩き終えようとしている。その横で一緒に笑って歩けることがとても光栄でした。


やたらと猫に好かれる夫。

マリアはよく休憩中に私の顔を観察していて、私の目と口、そばかすが好きだと言っていました。私の顔にあるのはそばかすではなく明らかにシミですが、シミ一つない美しいマリアはそれが羨ましいと言うのです。日本で生まれ育って、シミを羨ましがられたのは初めてです。


サンティアゴまで残り29km!

私は自分に自信がなく、自分を愛することが苦手でしたが、マリアもそのようでした。私にとってマリアはどこから見てもパーフェクト。なのに、そう言うと怒り出します。「私なんか」と言って受け入れてくれません。

水たまりを見つけるたびに自ら入りに行くマリア。
マリアはカミーノに靴を持ってきておらず、私と同じキーンのサンダル1つで挑んでいます。

泥だらけの足を泥だらけの水たまりでゆすぐマリア。

マリアと別れ、本日の私たちの宿へ。スペイン語しか話さない、ぶっきらぼうだけど優しいお父さんと笑顔がかわいいお母さんが切り盛りしている素敵なアルベルゲ。
風呂トイレは共同でしたが、部屋数が少ないので全く問題なく使えました。

宿のレストランには巡礼者メニューがなかったので、単品で注文。私はガリシアンスープとミックスサラダ。夫はハムとハンバーガーを注文。
テーブルに運ばれてきてびっくり、全部大皿!たしかにメニューにはRacion(スペインではラスィオンは大皿料理)と書かれていましたが、値段的に小皿くらいの量だろうと勝手に推測していました。つまり激安。
お腹がはち切れそうだったけど、美味しかったのでほとんど平らげました。宿の奥さんに「手作りのサンティアゴケーキもあるわよ!美味しいわよ!」と言われたけれどもう1mmも入る余地なし。明日の朝食べるねと言って2階に上がり、就寝しました。

37日目

Santa Irene → Santiago de Compostela

いよいよ最終日。昨日に引き続き今日も大雨。
朝8時に下のレストランでマリアと待ち合わせをしていたので、8時前に降りてトスターダとカフェコンレチェを注文。お母さんのサンティアゴケーキも食べたかったので、テイクアウト用に包んでもらいました。

隣に座っていたドイツ人女性が、「私はバスに乗るわ。この天気で歩いてもしょうがないわよ」と言っていたけれど、私たちを含め他の周りの人達もバスに乗る選択肢はなし。彼女の言っていることは真っ当だし、こんなに雨が降っている中歩くなんて馬鹿げています。

「どうして歩くの?少しくらいバスに乗ったっていいじゃない?」と言う彼女の問いに、とにかく歩いて終わらせたいんだ、と答える私。
どうしてもバスに乗りたくない。風邪も治らずに咳き込んでいるのに、どうしても最後まで歩きたい。


宿でテイクアウトしたサンティアゴケーキ。

何故か下のレインウェアを履かずに出発した私はもちろんびしょ濡れになり、5kmほど歩いたところで休憩がてらレインパンツに履き替えました。マリアと一緒にあったかいレモンティーを飲み、「あと20キロ以上あるね…」と言いながらも、誰の口からも「やっぱりバスに乗ろう」という言葉は出てきません。

誰かから「どうしてカミーノに来たの?」と聞かれたとき、いつも私は「カミーノの映画を観たから」とか「歩くのが好きなんだ」とか答えていましたが、一番の目的は他にありました。

私にはマリちゃんという大好きな従姉妹がいて、私が旅に出るとき、マリちゃんは癌で闘病中でした。

カミーノを歩こうと決めたとき、マリちゃんの病気が治るように祈りながら800kmを歩ききって、サンティアゴ大聖堂でマリちゃんにロザリオを買って帰ろうと決めていました。

でも、マリちゃんはこの6月、私がカナダにいるときに他界しました。私は帰国せず、マリちゃんを見送ることも出来ませんでした。

ユーコン川にいる時も、JMTを歩いている時も、マリちゃんがもうこの世にいないことが受け入れられず、1人になった時に何度も泣きました。
外国で働き国際人だったマリちゃん。小さい時はよく私を泣かしたガキ大将のマリちゃん。最後に会ったのは私がまだ大学生の時で、マリちゃんに、付き合っている人はどんな人なの?と聞いたら「ニコラス・ケイジを100発ぶん殴ったような人だよ」と言っていたユーモアたっぷりのマリちゃん。豪快で美人で知的で、多くの人に愛されたマリちゃん。

マリちゃんが亡くなったことを日本にいる家族から聞いた私は、厳しい闘病生活を終えたマリちゃんが、ゆっくり天国で休めるように祈りながらカミーノを歩くことに気持ちを切り替えました。
巡礼路沿いの教会に入るたびに、マリちゃんのことを想い祈りました。

マリちゃんの死を受け入れられたかは正直まだ分かりませんが、心の中にマリちゃんがずっと居てくれた1ヶ月でした。一緒に歩いてくれてありがとうマリちゃん。


たまに晴れる。

私たちと同じくサンジャンから歩いてきたというおばあちゃんと途中一緒になり、彼女は「最初は一人でこんなに長い期間歩くなんて、危ないからやめろってみんなに言われたの。でも…」
「一人になることなんてなかったわよね?」とすかさずマリアが言いました。
「私も最初は孤独を恐れていたけど、来てみたら色んな人が私を気遣ってくれたわ。一人で歩くことなんて一瞬もなかったわ」

残り15km地点にある「15km」というそのまんまの名前のカフェで一休み。3人でパニーニで乾杯しました。毎日の楽しみだったカフェやバルでの休憩ももうなくなるのか…と思うとちょっと寂しい。
テラスでパニーニを食べていると、また天候が急変。嵐のような雨が降り出して、何かもう笑うしかなくなってきました。

雨の中黙々と歩き、カミーノの中で一番「無」になった時間でした。今日で終わる喜びとか、雨が辛いとか、何も考えずにただひたすら足を前に運びます。

靴の中は完全に水浸しで、指先からどんどん冷えていきます。

残り10km、何故かマジックで書かれて風情もクソもない標識を通り過ぎます。

いいメッセージをくれるなあと思ったら下に書いてあるのがメインでした。ゴミを放置していくなということでしょうか。

カミーノ最後の休憩です。夫は美味しそうなボカディージョを、私はトイレでゲロを吐きました。

雨が急に雹に変わりましたが、3人ともそれぞれのペースで黙々と歩き続けました。

ついにサンティアゴの街に入りました。思っていたより都会でびっくり。

みんなから送られてきた写真の場所で記念撮影。都会は街に入ってからが長い、引き続き大聖堂を目指します。

黄色い矢印とホタテを必死に探しながら歩き、大聖堂が見えてきました。

ついに到着!サンティアゴ大聖堂の前で万歳です。サンティアゴ大聖堂があまりにも大きく、これを撮影している私の姿がこちら。


完全に虫化。

今朝宿でバスに乗ると言っていたドイツ人女性も居たので、一緒に記念撮影。この喜びはここを歩いた人とじゃないと分かち合えません。

「大聖堂に着いたらきっと泣くと思っていたけど、涙が出ないわ。むしろすごく清々しい気分よ!」と言うマリア。私も全く同じ気持ちでした。

祝杯をあげるべく近くのバルに移動し、ビールとカフェコンレチェを注文。メイン通りのテラスに座ったせいか、通り過ぎる顔見知りの巡礼者仲間から「おめでとう!」「やったね!」と声をかけられます。

お腹が空いたのでタパスバーに移動した時、ハン先生ご夫妻と再会しました。ハン先生に、先生の愛情のこもった治療のおかげで最後まで歩くことができたこと、先生の奉仕の姿勢に感動し、私も先生のように誰かを助けられる人間になりたいと思ったと伝えました。きちんと伝わったかはわかりませんが、先生はハハハと笑って抱きしめてくれました。

初めて訪れる街なのに、通りを歩けば友達がいて、何だか不思議な感覚です。普通の海外旅行では味わえない気持ちです。

宿のチェックインも後回しにして、とにかく祝う私たち。明日の朝一で巡礼事務所にコンポステーラをもらいにいく約束をして、夜遅くに解散しました。
大聖堂から徒歩20分くらいの場所にある宿にやっとの思いでたどり着き、靴を脱いだらふやけて真っ白になっていました。
シャワーで体を温めた後、薬局で購入した咳止めを飲んで深い眠りにつきました。

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