スガ旅

夫婦で世界の大自然を歩いた旅の記録

カミーノ後記

38日目

朝8時に巡礼事務所が開くので、朝7時50分頃に着くように向かいました。

開館前から長蛇の列!8時にオープンすると、すぐに中に通されて整理券が配布されました。この整理券システムがかなりハイテクで、QRコードを読み込むと何人待ちか一目で分かります。
巡礼事務所で再会したサリーとマリア、私たち夫婦の4人で近くのカフェに行き、自分たちの番を待ちながら朝ごはん。

スペインで一度も試したことのなかった「コラカオ」を注文してみました。牛乳に入れて溶かすタイプのホットチョコレートです。寒かったのでとってもあったまる…!

みんな無事にコンポステーラをゲット!サンジャンからだと779kmなんですね。ずっと800kmだと思ってました。コンポステーラを入れるホタテ柄の筒も購入しました。卒業証書みたい。

マリアと夜会う約束をして一度別れ、私たちもホテルへ戻ります。

戻る途中のカフェでホットチョコレートとチュロスを楽しむ夫。日本を出てからすっかり甘党になってしまいました。

薬局で購入した咳止めが抜群に効いています。タブレットを水に入れ、炭酸水のように飲むのですが、味も美味しい。もっと早く買えばよかった…!

サンティアゴに数日滞在しているダグから、夜ごはんを一緒に食べてお祝いしようと連絡が来ました。マリアも誘って、シーフードが食べられるレストランにて大集合。

マリアはレストランに向かう途中オーストラリアのマイケルと遭遇したと言って、マイケルも連れてきてくれました。ダグとジョンは私たち以外初対面でしたが、すっかり打ち解けてくれてほっとしました。

ゴッドファーザーのようなダグは、この後マドリードで奥さんと合流し、スペイン各地を回った後船でアメリカに帰ると言っていました。若い頃から旅行が大好きで、子供が生まれてからは休みのたびにアメリカ中の州を周り、行ったことがない州はもうないとのこと。私たちとは2日間一緒になっただけなのに、ずっと気にかけてくれていた大好きな二人です。


ホタテの旅が終わります。

マイケルとは二日目のアルベルゲ難民仲間で、あの時のアルベルゲのオスピタレロがロバート・デニーロに激似だったよねと思い出話に花が咲きました。あの時仲間に入れてくれてありがとうと言われ、私は何もしていないけど、胸が熱くなりました。マイケルは足が悪く、いつも足を引きずって歩いていました。みんな歩き終えることが出来て本当に良かった。

明日は昼からミサに参加する予定でしたが、ダグに「巡礼事務所の聖堂で朝から英語のミサをやるから、そっちに行きなさい」と言われ、マリアと私たち夫婦は英語ミサに参加することにしました。
みんなで抱き合っていつかの再会を約束し、解散。
いい夜でした。

39日目

マリアとカフェで朝ごはんを食べてから、朝9時半に巡礼事務所の入り口にある聖堂へ。

スペイン語でも英語でもあまり内容を理解出来る気はしませんが、こじんまりとした聖堂で受けるミサの方が心地良さそうです。

並んでいると、日本人の男の子が!彼はリキ君と言って、まだ学生さんだそう。14歳の頃からカミーノに来るのが夢だった、というリキ君の話に驚いていると、後ろからすっと手が伸びてきて肩を抱かれました。振り向くと、イスラエルの2人組、レウトとシーラでした。彼女たちは全身びしょ濡れで、大雨の中たった今到着したところでした。夜ご飯を一緒に食べる約束をして、私たちはミサへ。


巡礼事務所の小さな聖堂。

ミサでは最初に、全員自己紹介をします。出身地と名前、どこからスタートしたかを立って述べるのですが、あがり症の私はかなり緊張しました…。マリアも「心臓が爆発しそう」と言って、気の小さい私たち。ちなみに私が夫の紹介もしたので、夫は立って前を向くだけの簡単なお仕事。

神父様が巡礼者が無事にサンティアゴにたどり着けたことを祝福し、聖歌を歌い、祈りを捧げたい人は前に出て皆の前で祈りを捧げます。
ある人はアマゾンの森林火災について、ある人は世界中の紛争について。
ミサが終わり、マリアに呼ばれたので祭壇の方に行ってみると、自分の祈りを紙に書いて納める場所がありました。3人とも自分の祈りを紙にしたため、祭壇の下にある箱に入れて聖堂を後にしました。

その後は、修復工事中のサンティアゴ大聖堂の見学へ。

映画「The Way(邦題:星の旅人たち)」を観てカミーノの存在を知った私ですが、劇中に出てくるサンティアゴ大聖堂のボタフメイロを見られないのは非常に残念です。これ人入れていいの?というくらい、ガンガン工事していました。

聖ヤコブ像に触れるため、長蛇の列に並びます。写真中央にいるヤコブの背中に触ることが出来るのですが、細い階段を登って内部に入り込む形となっています。

外側からヤコブの棺が見えました。ちなみに内部に入ってからの写真撮影はNG。みんな構わず撮っていましたが…。

工事中にもかかわらずものすごく混雑していて、流れ作業のようにヤコブの背中を一瞬撫でて外に出ました。巡礼者よりも観光客が多いサンティアゴ大聖堂でした。

コンポステーラもゲットし、ヤコブ様にご挨拶もし、ようやく一連の儀式を終えて肩の力が抜けました。私たちは明日の朝サンティアゴを発つ予定で、今夜が最終日です。マリアは明後日ドイツに帰国予定。

大聖堂を出ると、マリアのお友達が待っていました。彼はチェコ出身のロビン。私たちがマリアと会えなかった期間、一緒に歩いていたそう。彼はすでにフィステーラとムシアまでも歩き終えていて、今日の夜の便で祖国に帰る予定だったのですが、フィステーラかムシアで命の次に大事なIDを落としてしまったそう…。それがないと飛行機にも乗れず、今日は警察に紛失届を提出してきたところだと言っていました。かわいそうに…。

ランチ中に思考を巡らせ、チェコまで陸路で帰る決心をするロビン。スマホでバスの手配を済ませて、3度の乗り継ぎを経て、43時間で祖国に着くそう。死んだ目で笑っていました。

サンティアゴでの最後の晩餐は、イスラエルのレウトとシーラ、私たち夫婦とマリア、そしてロビンの6人になりました。レウトたちに連絡すると、さらに2人友達を連れて来たいとのことで、私たちも日本人のリキくんを誘い、全部で9人。大所帯です。

マリアに、ユダヤ教の友達が来るからレストランを選んだ方がいいかな、と相談したところ、ユダヤ教の食事「コーシャ」のお店を探した方がいいか、彼らに直接聞いてみるといいよ、とアドバイスをもらいました。
言われた通りにレウトたちに連絡すると、「どの店でもポテトとかサラダとか食べられるものはあるから大丈夫!それよりも、そんなことを気にしてくれて嬉しい」と返信がありました。

夜、普通のレストランで全員集合。マリアはヘブライ語が話せるので、レウトたちとも一気に打ち解けていました。心のどこかでドイツとユダヤの確執を恐れていたけれど、遅れているのは私だけで、世界は進んでいました。

今現在イスラエルではユダヤ教の新年らしく、私たちでいう正月休みだそうです。家にいると電化製品は使えないわお金は使えないわで何も出来ないので、とにかく家を出たかったんだ、と話すシーラ。彼女のお家は敬虔なユダヤ教のお家なんだろうな。

とは言え、彼女たちはユダヤ教が嫌いだとか、改宗したいなんてことは思っていません。日本人の私たちには到底理解出来る習慣ではないけれど、彼女たちは自分たちの宗教をとても大事にしています。

また、私たちがこの後イスラエルにも訪れる予定があるよ、というと、エルサレムのことやヨルダンのこと、色々なことを教えてくれました。中東は未知の領域なので、とても助かります。

夜中の0時を回ったところで解散。なかなか帰ろうとしないマリアに、夫が「明日のバスは昼だから、朝ごはん一緒に食べる?」と提案。マリアはとても喜んで、「Good job, Taro!」と褒めていました。

店の外でギレンヌ・セバスチャン夫妻に遭遇し、彼らも明日からポルトガルに行くとのことだったので、ポルトで食事する約束をして帰路につきました。

40日目

朝宿を出て、まずは先月サンジャンから発送した荷物を引き取りに、受け取り場所のホテルに向かいます。

フロントで引き換え証を渡し、無事に荷物の受け取りも完了!サンジャンで借りた大きなボストンバッグもここで返しました。

その後、マリアの待つカフェへ向かう途中、小学生の団体に遭遇。一人の男の子から、「質問をしてもいいですか?」と話しかけられたので足を止めると、「どこから来たの?どこからスタートしたの?何日間歩いたの?」とたくさんの質問が。引率の先生が見守る中質問に答えると、小学生の団体は「すごい!」とか「ジャパン!」とか、嬉しそうにお礼を言って去っていきました。

マリアと朝ごはんを食べ、いよいよお別れの時。もちろん寂しいけれど、お互い生きている限りきっとまた会えるはず。「何歳になるか分からないけど、必ず日本に会いに行くね」と言うマリアと長い抱擁を交わし、笑顔でお別れしました。

カミーノを歩き終えて

こんなに長い距離を歩いたのも初めてだし、1ヶ月の間にこんなにたくさんの人々との出会いがあったのも初めてでした。10日を過ぎたあたりで足が壊れ始め、30日を過ぎたあたりで風邪を引きました。荒野を歩くJMTとは全く違う徒歩旅でしたが、たくさんの人の人生に触れ、精神的に成長出来た1ヶ月だったんじゃないかな、と思います。

人を思いやり、助け合い、受け入れ、赦し、赦された1ヶ月。宗教を超え国籍を超え、みんなに平等に開かれたこの道を歩き、得たものは想像以上でした。
世界中の巡礼者がこの道に魅了され、歩き終えたあともオスピタレロとしてこの地に残ったり、移住して巡礼者を助ける側に回ったりしている理由が分かりました。

また、若者よりもシニア層が多いことに驚きました。リタイアして時間が出来てから歩く人が多いのでしょうが、毎日宿に泊まれるし食べ物にも不自由しないため、老若男女問わず誰でも安心して歩ける道なんだなぁと改めて思いました。

巡礼路沿いの町では、小さな村や大きな町に関係なく、住民の方々から「Buen Camino!」と温かい声援を受けることがしばしば。公園で遊んでいる4歳くらいの子供に言われることもありました。これもここに住む彼らの文化であり、巡礼者と共に歴史を重ねていることに感動しました。

スペインを冒険するならカミーノはもってこいでしょう。私たちはバルセロナもマドリードも行ったことはありませんが、誰も聞いたことのないような小さな村々を訪れました。村人より巡礼者の方が多いようなところばかりでしたが、スーパーマーケットはなくても個人商店があり、困っていることを伝えるとみんなが助けてくれる、そんな温かい村ばかりでした。

そしてやはり、何よりも人との出会いです。ここへ来なかったらお互いの人生に触れることのなかった愛すべき人々との出会い。いつかみんなの国を訪れる旅をするのが私の「やることリスト」に追加され、また、彼らを日本で迎え入れるのもとても楽しみです。



カミーノの記録は以上です。泊まったアルベルゲの情報など、後日改めてまとめるつもりです。
このブログを読んでくださった方々からあたたかいメッセージを頂き、日々励まされました。長々とお付き合い頂き、本当にありがとうございます。

この後はポルトガル→モロッコに移動し、アフリカ編を記録していく予定です。私にとっては初めてのアフリカ大陸。私の人生での初めてがたくさん詰まっていそうで、楽しみ半分、不安半分、とにかく健康に留意しながら過ごそうと思います。

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