スガ旅

夫婦で世界の大自然を歩いた旅の記録

私たちのカミーノ⑰

36日目

Arzua → Santa Irene

昨晩さらに咳が悪化し、同部屋のマリアに申し訳ないので数時間部屋を出て共用リビングのソファにてうたた寝。咳き込みすぎて吐き気も出てしまい、リビングとトイレを行ったり来たり…。

朝になってマリアも風邪っぽいと言い出し、完璧に私が移してしまった模様。ごめんねとマリアに謝ると、「何であなたが謝るの?悪いのはあなたじゃなくてウィルスよ!」と言われ、ドイツにはそんな無茶な考え方あるのかと眼から鱗でした。多分マリアが優しいだけ。

朝早くから開いているカフェに行き、3人で朝ごはん。スペインの朝のカフェはワンオペでサービスしていることが多く、ロボットのように無駄なく動くスタッフさんの機嫌を損ねないよう、タイミングを見計らって注文します。

同じカフェにてオーストラリアのサリーと再会!足が痛くて歩けないと言って、途中タクシーに乗ったりしていたので心配していました。「いよいよ明日サンティアゴに到着するのね!」と嬉しそうなサリー。
トレードマークのみんなのサイン入りの杖を持ち、元気に歩き出す姿を見てホッとしました。

雨が降ったり止んだりする中、私たちも出発です。アルスアの町の中で道が二手に分かれますが、マリアが「私のお腹がこっちって言ってる」という方に進みました。
「何でハートじゃなくてお腹なの?」と聞くと、「お腹の言うことは大事よ。間違えた方向に行くとお腹がモヤモヤすることあるでしょ?」と。よくわからないけどかわいいから何でもいい。

サンティアゴに到着してから巡礼事務所にてコンポステーラを発行してもらい、ミサに参加するのが通例なのですが、私たちは明日の夕方頃までにサンティアゴに到着し、コンポステーラ発行とミサは明後日に回すことにしました。そうすることで時間に追われることなくゆっくり歩く事ができます。

また、歩き始めた時は、マリアも私たち夫婦も巡礼路の最終地点であるフィステーラまで行くつもりでしたが、向こう一週間ずっと雨が続くこともあり、3人とも行かないことに決めました。私たちもあと少しでヨーロッパを出ないといけないし、マリアは早く帰って彼に会いたいと言っていました。

カミーノを歩き終えるということは、一緒に歩いてきた巡礼者たちと別れるということ。この1ヶ月、本当にたくさんの人と出会いました。私たちより先に進んでいたダグとジョンやアルベルタとジョズエ、ノラやエリックからはサンティアゴ到着の知らせが次々に届いてました。
ジンは日程的に私たちに会うことは叶わず、すでにマドリードへ。


ずっと何かを訴えてきたアヒル。

途中の休憩で、マリアがパンくずをくれました。吐き気に効くらしいです。初耳…!

昨晩の咳がかなり苦痛だったので、今日は集団部屋ではなく夫と二人で個室に泊まることに。もちろん高いけど、誰にも気を使わずにちゃんと睡眠を取りたい…。


黄色い矢印を探すのももうすぐ終わり。

3人で歩いたり、それぞれ1人で歩いたり、のんびりと進みます。私が「帰国したらカミーノでよく使ったスペイン語の単語を犬の名前にする」と言ったので、3人で案を出し合いました。
「バモス」
「ボカディージョ」
「ガト」
「バーニョ」
「カマ」
「プルポ」

マリアに、結局バスを使わないで歩いて追いついたね、と言うと、「うん、今は自分がすごく誇らしいわ!誰にも頼らずに毎日自分で起きられたし、薬にも頼らなかったわ!」と笑うマリア。それを聞いて、彼女がここに来る前は病院に通っていたということを思い出しました。きっととても深い絶望の中にいた彼女が、一大決心をして一人でこの道に来て、諦めることなく自力で歩き終えようとしている。その横で一緒に笑って歩けることがとても光栄でした。


やたらと猫に好かれる夫。

マリアはよく休憩中に私の顔を観察していて、私の目と口、そばかすが好きだと言っていました。私の顔にあるのはそばかすではなく明らかにシミですが、シミ一つない美しいマリアはそれが羨ましいと言うのです。日本で生まれ育って、シミを羨ましがられたのは初めてです。


サンティアゴまで残り29km!

私は自分に自信がなく、自分を愛することが苦手でしたが、マリアもそのようでした。私にとってマリアはどこから見てもパーフェクト。なのに、そう言うと怒り出します。「私なんか」と言って受け入れてくれません。

水たまりを見つけるたびに自ら入りに行くマリア。
マリアはカミーノに靴を持ってきておらず、私と同じキーンのサンダル1つで挑んでいます。

泥だらけの足を泥だらけの水たまりでゆすぐマリア。

マリアと別れ、本日の私たちの宿へ。スペイン語しか話さない、ぶっきらぼうだけど優しいお父さんと笑顔がかわいいお母さんが切り盛りしている素敵なアルベルゲ。
風呂トイレは共同でしたが、部屋数が少ないので全く問題なく使えました。

宿のレストランには巡礼者メニューがなかったので、単品で注文。私はガリシアンスープとミックスサラダ。夫はハムとハンバーガーを注文。
テーブルに運ばれてきてびっくり、全部大皿!たしかにメニューにはRacion(スペインではラスィオンは大皿料理)と書かれていましたが、値段的に小皿くらいの量だろうと勝手に推測していました。つまり激安。
お腹がはち切れそうだったけど、美味しかったのでほとんど平らげました。宿の奥さんに「手作りのサンティアゴケーキもあるわよ!美味しいわよ!」と言われたけれどもう1mmも入る余地なし。明日の朝食べるねと言って2階に上がり、就寝しました。

37日目

Santa Irene → Santiago de Compostela

いよいよ最終日。昨日に引き続き今日も大雨。
朝8時に下のレストランでマリアと待ち合わせをしていたので、8時前に降りてトスターダとカフェコンレチェを注文。お母さんのサンティアゴケーキも食べたかったので、テイクアウト用に包んでもらいました。

隣に座っていたドイツ人女性が、「私はバスに乗るわ。この天気で歩いてもしょうがないわよ」と言っていたけれど、私たちを含め他の周りの人達もバスに乗る選択肢はなし。彼女の言っていることは真っ当だし、こんなに雨が降っている中歩くなんて馬鹿げています。

「どうして歩くの?少しくらいバスに乗ったっていいじゃない?」と言う彼女の問いに、とにかく歩いて終わらせたいんだ、と答える私。
どうしてもバスに乗りたくない。風邪も治らずに咳き込んでいるのに、どうしても最後まで歩きたい。


宿でテイクアウトしたサンティアゴケーキ。

何故か下のレインウェアを履かずに出発した私はもちろんびしょ濡れになり、5kmほど歩いたところで休憩がてらレインパンツに履き替えました。マリアと一緒にあったかいレモンティーを飲み、「あと20キロ以上あるね…」と言いながらも、誰の口からも「やっぱりバスに乗ろう」という言葉は出てきません。

誰かから「どうしてカミーノに来たの?」と聞かれたとき、いつも私は「カミーノの映画を観たから」とか「歩くのが好きなんだ」とか答えていましたが、一番の目的は他にありました。

私にはマリちゃんという大好きな従姉妹がいて、私が旅に出るとき、マリちゃんは癌で闘病中でした。

カミーノを歩こうと決めたとき、マリちゃんの病気が治るように祈りながら800kmを歩ききって、サンティアゴ大聖堂でマリちゃんにロザリオを買って帰ろうと決めていました。

でも、マリちゃんはこの6月、私がカナダにいるときに他界しました。私は帰国せず、マリちゃんを見送ることも出来ませんでした。

ユーコン川にいる時も、JMTを歩いている時も、マリちゃんがもうこの世にいないことが受け入れられず、1人になった時に何度も泣きました。
外国で働き国際人だったマリちゃん。小さい時はよく私を泣かしたガキ大将のマリちゃん。最後に会ったのは私がまだ大学生の時で、マリちゃんに、付き合っている人はどんな人なの?と聞いたら「ニコラス・ケイジを100発ぶん殴ったような人だよ」と言っていたユーモアたっぷりのマリちゃん。豪快で美人で知的で、多くの人に愛されたマリちゃん。

マリちゃんが亡くなったことを日本にいる家族から聞いた私は、厳しい闘病生活を終えたマリちゃんが、ゆっくり天国で休めるように祈りながらカミーノを歩くことに気持ちを切り替えました。
巡礼路沿いの教会に入るたびに、マリちゃんのことを想い祈りました。

マリちゃんの死を受け入れられたかは正直まだ分かりませんが、心の中にマリちゃんがずっと居てくれた1ヶ月でした。一緒に歩いてくれてありがとうマリちゃん。


たまに晴れる。

私たちと同じくサンジャンから歩いてきたというおばあちゃんと途中一緒になり、彼女は「最初は一人でこんなに長い期間歩くなんて、危ないからやめろってみんなに言われたの。でも…」
「一人になることなんてなかったわよね?」とすかさずマリアが言いました。
「私も最初は孤独を恐れていたけど、来てみたら色んな人が私を気遣ってくれたわ。一人で歩くことなんて一瞬もなかったわ」

残り15km地点にある「15km」というそのまんまの名前のカフェで一休み。3人でパニーニで乾杯しました。毎日の楽しみだったカフェやバルでの休憩ももうなくなるのか…と思うとちょっと寂しい。
テラスでパニーニを食べていると、また天候が急変。嵐のような雨が降り出して、何かもう笑うしかなくなってきました。

雨の中黙々と歩き、カミーノの中で一番「無」になった時間でした。今日で終わる喜びとか、雨が辛いとか、何も考えずにただひたすら足を前に運びます。

靴の中は完全に水浸しで、指先からどんどん冷えていきます。

残り10km、何故かマジックで書かれて風情もクソもない標識を通り過ぎます。

いいメッセージをくれるなあと思ったら下に書いてあるのがメインでした。ゴミを放置していくなということでしょうか。

カミーノ最後の休憩です。夫は美味しそうなボカディージョを、私はトイレでゲロを吐きました。

雨が急に雹に変わりましたが、3人ともそれぞれのペースで黙々と歩き続けました。

ついにサンティアゴの街に入りました。思っていたより都会でびっくり。

みんなから送られてきた写真の場所で記念撮影。都会は街に入ってからが長い、引き続き大聖堂を目指します。

黄色い矢印とホタテを必死に探しながら歩き、大聖堂が見えてきました。

ついに到着!サンティアゴ大聖堂の前で万歳です。サンティアゴ大聖堂があまりにも大きく、これを撮影している私の姿がこちら。


完全に虫化。

今朝宿でバスに乗ると言っていたドイツ人女性も居たので、一緒に記念撮影。この喜びはここを歩いた人とじゃないと分かち合えません。

「大聖堂に着いたらきっと泣くと思っていたけど、涙が出ないわ。むしろすごく清々しい気分よ!」と言うマリア。私も全く同じ気持ちでした。

祝杯をあげるべく近くのバルに移動し、ビールとカフェコンレチェを注文。メイン通りのテラスに座ったせいか、通り過ぎる顔見知りの巡礼者仲間から「おめでとう!」「やったね!」と声をかけられます。

お腹が空いたのでタパスバーに移動した時、ハン先生ご夫妻と再会しました。ハン先生に、先生の愛情のこもった治療のおかげで最後まで歩くことができたこと、先生の奉仕の姿勢に感動し、私も先生のように誰かを助けられる人間になりたいと思ったと伝えました。きちんと伝わったかはわかりませんが、先生はハハハと笑って抱きしめてくれました。

初めて訪れる街なのに、通りを歩けば友達がいて、何だか不思議な感覚です。普通の海外旅行では味わえない気持ちです。

宿のチェックインも後回しにして、とにかく祝う私たち。明日の朝一で巡礼事務所にコンポステーラをもらいにいく約束をして、夜遅くに解散しました。
大聖堂から徒歩20分くらいの場所にある宿にやっとの思いでたどり着き、靴を脱いだらふやけて真っ白になっていました。
シャワーで体を温めた後、薬局で購入した咳止めを飲んで深い眠りにつきました。

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私たちのカミーノ⑯

34日目

Portomarin → Portos

夜中から咳が定期的に出てしまい、周りの人に悪いと思って何度もトイレに行き咳き込んでいました。辛い…。

宿の食堂で朝ごはんを食べ、暗いうちに出発!
橋を渡る所で立ち止まっていた欧米人巡礼者に何か話しかけられ、全く聞こえなかったので聞き返すと、私の顔を見て「あ、いいわ、気にしないで」と言われちょっと落ち込む。英語が分からない訳じゃなくて聞こえなかっただけなのになあ。

日が登ってからも霧がかかっていて景色が見えません。でもその方が足を止めずにサクサク歩けます。

8kmほど歩いて一回目の休憩です。プリンのようなチーズケーキを頂きましたが、濃厚過ぎてちょっと重い…。サリアを過ぎてからは、スタンプを集める巡礼者が多いせいかスタンプはセルフサービスに。だいだいカフェのカウンターか外のテーブルに置いてあるので、何も頼まなくてもスタンプを押しやすいです。

霧が晴れて景色が見えてきた所で、イタリア人巡礼者の写真を撮ってあげました。お返しに撮るよ!と言われて貴重な夫婦写真を撮ってもらう事ができました。

雲が下に流れて雲海になり、空中散歩のよう。歩き始めるとそんなに咳も出なくて調子が良いです。

今日の目的地は決めていませんが、人が少なそうな村を選んで泊まる予定です。マリアとの距離も縮まってきたので会えるのが楽しみ。

日本の弁当屋の割箸が落ちていました。昨日は「エビチャーハンの素」が落ちていました。

ポルトマリンから約19km地点にあるポルトス。アルベルゲは1軒だけですが、ベッドが空いていたのでここに泊まることにしました。
部屋にいたアジア人女性に出身を聞かれたので答えると、何と彼女も日本人!彼女の名前はキョウコさん。アメリカ在住だそうで、アメリカ人のお友達と一緒に歩いているそう。

シャワーと洗濯を済ませてテラスでコーラを飲んでいるとキョウコさんがやって来て、色んなお話を聞かせて下さいました。アメリカ在住歴が長いせいか、たまに私にも英語で話したり、日本語で何て言うんだっけ、という場面があったり。
キョウコさんはシアトルの山の中に自分でログハウスを建てたらしく、写真をたくさん見せてくれました。
家を建てている間は2年間テント生活をしたというたくましいキョウコさん。自分で家を建てるのは私の夢でもあるので、彼女から聞く話は刺激がいっぱいでワクワクしました。
海外に住むこと自体私たちにとってはかなりハードルが高いのに、外国で土地を探して山の中に住むなんて、タフな女性もいるもんだなあと驚きました。

35日目

Portos → Arzua

やはり夜になると咳が出るようで、咳が出るたびに目が覚めてしまい今日も寝不足。

宿で朝ごはんを食べ、出発です!
今日の目的地をマリアに伝えると、マリアのいる場所からは30km以上あるけれど絶対に行く、とのこと。

今日の目的地はアルスアというちょっと大きめの町。キョウコさんたちも同じ目的地のようで、プルポが食べられるよ!と喜んでいました。

身体は回復しているものの、夜間の咳が悩みです。個室なら気を使わずにいられますが、集団部屋だと我慢して余計苦しい。どうにかならないものでしょうか…。

次の大きな町、パラス・デ・レイまでは約6kmほどの道のり。その間にも小さな村をいくつか通ります。


木のトンネル。

歩き始めた時は暑くて汗ばかりかいていたけど、もうすっかり秋の空気です。一ヶ月以上の間、Tシャツ2枚にトレッキングパンツ1本を洗濯しながら使い回し、どれもクタクタになってきました。毎日化粧もせずに日焼け止めだけ塗って、歩いて食べて出して寝るだけの生活ももうすぐ終わります。


サンティアゴまで残り69km。

カミーノを歩き終える寂しさは一切ありませんが、何も考えずにただ矢印に従って前に進むだけで良かった生活が終わるのは少し寂しいです。そろそろサンティアゴの後の予定を考えなきゃなあ…。


大量の栗が上から落ちてきます。


日本語!

順調に歩みを進め、パラス・デ・レイに到着です。

街角のカフェで休憩していると、たくさんの巡礼者がサンティアゴ行きのバスに乗り込んでいました。
足が痛くて歩けなかったり、時間がなかったりなど色々な理由があると思いますが、幸い私たちはまだ歩けます。疲れているし体調も万全ではないけど、歩けないほどではない。

巡礼路沿いには救護院の跡があったり、慰霊碑があったり、昔は命をかけて歩かれてきたこの道。今は寝床にも食にも困らず、交通機関も使える便利な時代です。


「Jesus loves you」

ゴールが近づくにつれて風景も変わってきました。少し前は何もないメセタを歩いていたんだよなあ。

上からどんぐりや栗が容赦なく落ちてくるのですが、夫には当たらず私の頭に当たります。なぜ…。

途中休憩で食べたボカディージョ。でかい…!


鼠返しのついた食糧庫。

マリアと連絡を取ると、順調にこちらに近づいていたので宿を予約。アルベルゲですが、3人の値段で4人部屋を確保出来ました。

橋の向こうにアルスアが見えてきました。

マリアは夕方以降に到着予定ですが、ベッドの確保も済んでいるので心配なしです。後2日でゴール予定ですが、最後にマリアと歩けるのが楽しみです。

町に入るとすぐにプルポ屋さんがありました。店内はものすごく混雑していたので、私たちは先にチェックインを済ませることに。

チェックインを済ませ、シャワーを浴びてくつろいでいると、夜到着のはずのマリアが突然現れました。

再会するなり長い長いハグをするマリア。やけに早くない?と言うと、「そうなの、自分でもびっくりよ!」と嬉しそう。
マリアを部屋に案内し、プルポ食べに行くけど行く?と聞くと、「プルポはそんなに好きじゃないから後で合流するわ!洗濯もしたいしシャワーも浴びたいし、ああ、もうあなたたちを追いかけなくてもいいのね!最高!」ともうゴールしたかのように達成感に満ち溢れていました。

マリアを置いて私たちはプルポ専門店へ。グラスよりボトルの方がコスパがいいからとか言ってボトルワインを頼む夫にイライラ。

先ほどまで大混雑だったのに、私たちが行った時はガラガラでした。良かった。

3度目のプルポ。味付け方法はどの店も一緒ですが、ここのは塩が効いてて私好み。残ったオイルをパンにつけて食べるのも美味しくてたまりません。


肉も!

ここのお店は日本人巡礼者のファンが多いのか、巡礼者から頂いたという日本手ぬぐいも飾られていました。まさかスペインの田舎町でkenemaの手ぬぐいを見かけるとは…。

夫と2人だと会話もそんなにしないので30分程で完食。宿に戻り、夜になってからマリアの夕食に付き添って女2人で出かけました。夫は部屋でYouTubeを見ると言って留守番。
お互い会えなかった期間の出来事をたくさん話し、再会を喜びました。マリアは結局一度もバスに乗ることなく自分の足でここまで来ました。そのことがすごく嬉しかったし、カミーノ初日に一緒に路頭に迷った仲の彼女と一緒にカミーノを終わらせる事が出来ることに、運命しか感じませんでした。

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私たちのカミーノ⑮

31日目

Fonfria → Sarria

朝起きると身体が痛い…、これはやはり…風邪。
「風邪かも」と思うだけで急に全身全霊で元気がなくなります。熱がある気もするしものすごくだるい気もする。

とりあえずアルベルゲのカフェで朝食を済ませ、「改源」を飲んで出発です。

ガリシア州は雨がよく降ると聞いていましたが、本当にその通り。雨が降ったり止んだり忙しく、カラッと晴れ渡ることがありません。

寒暖差のせいか、アルベルゲ内でもらったのか、この旅で初めての風邪です。夫も少し調子が悪そう。

今日の目的地はサリアという大きめの町にして、ブルゴス以来の休息日を作ることにしました。サリアまでは26kmくらいなので、いつもよりもちょっと多めになりますが、とにかくあったかいお風呂に入ってひたすら眠りたい…。

まずは9kmほど先のトリアカステージャを目指します。ATMもありそうなので、現金の補充も兼ねて休憩。

朝食セットを頼むと、トスターダとトマト、オレンジジュースとカフェコンレチェでした。焼いたパンにオリーブオイルとトマト、塩をかけて頂くスタイル。スペイン語ではトスターダ・コン・トマテ。

いつも通りバターとジャムもついていたので、色んな味が楽しめてお得感満載。ちなみにバターはスペイン語でマンテキーヤ、ジャムはマルメラダ。カミーノでは頻出単語です。

昨日の宿で私の隣のベッドだった男性がやって来て、私たちが挨拶をすると同じテーブルに座ってきました。彼は少し挙動不審な感じで、昨日の宿で東欧系グループの女子たちに挨拶するも完全無視されていました。
私たちのテーブルで朝食を食べ始めた彼は、アイルランドから来たエイダン。三回目のカミーノで、今回歩き終えるそう。日本にも何度か来たことがあり、ウーフ(無償で仕事を手伝う代わりに寝床と食事を提供してもらうシステム)を使って長野のホテルに滞在したことがあると話していました。彼の話を聞いているうちにまた雨が降り出し、急いで出発。

トリアカステージャから道が二手に分かれます。南のルートはサモスを通るルートですが、今日中にサリアに着きたかった私たちは、距離の短い北ルートへ。

雨が降ったり止んだりですが、緑が美しく日本の山のようです。

途中、寄付制の休憩スポットがありました。私の苦手な雰囲気でしたが、膀胱が限界だったのでお邪魔してみました。この場所の主と思われるジェシー・ピンクマン似の男性にトイレはどこか尋ねると、裏の畑のような場所に連れて行かれました。

「トイレは二つあるんだ、カカ(大)はあっちのトイレ、ピピ(小)はあっちのトイレ」と男性が指差す先にはドアなどない簡易のトイレが。

私はピピの方に行って用を足しましたが、カカだったとしたら行きにくい…。

彼らはテントで生活しているらしく、巡礼者の顔にペイントしたり、ギターを弾いたり、瞑想したりととてもゆっくり過ごしていました。夫にもらった小銭をドネーションボックスに入れ、ゆで卵とバナナを頂きささっと出発。

夫がスタスタと前を歩く後ろで、エイダンのマシンガントークを聞きながら歩き続けました。
エイダンは足がクソ痛いエリックにも会ったらしく、彼は痛みの話しかしないからすごくエネルギーを吸い取られる、と言っていましたが、風邪気味で朦朧としていた私は猛烈に話し続けるエイダンにエネルギーを吸い取られていました。

アイルランドの気候や地形の話、環境問題の話などを聞き、スターウォーズが嫌いだと言い出したエイダン。そこだけちょっと聞き流せなかったので、体調が悪い中私のハリソン・フォード愛を語り、休憩地点に到着。別れ際に、「スターウォーズのラスト・ジェダイはアイルランドで撮影したんだよ」と耳寄り情報を教えてくれたので、やっとアイルランドに行きたくなったよ、と言って別れました。何だかんだいい奴でした。

カミーノ2週間目くらいからちょこちょこ挨拶を交わしていたアメリカ人の奥様と、まさかのモンベル被り。彼女は何と、映画「Wild 」でシェリルがPCTで最初に出会った男性・グレッグの奥様。おったまげました。映画の通り、彼は1995年にはスルーハイクを達成できなかったけれど、翌年の1996年に達成したんだよと話してくれました。私たちがJMTのスルーハイクをしたことを話すと、「JMTだってものすごくタフじゃない!あそこを歩ききったのね、おめでとう!」と祝福され、何だかとても誇らしい気持ちになりました。

サリアの町に入る頃には体調がかなり悪化し、悪寒が止まらず亀の歩みとなっていました。後ろから来たノラが心配してしばらく一緒にいてくれましたが、夫に追いついたので先に進んでもらいました。

Booking .comの検索画面でバスタブ付きの宿を絞り込んで予約した宿に到着。ホテルではなくアパートでしたが、とにかく早く休みたい…。

アパートに入るとあるはずのバスタブはなく、シャワーのみ。

予約画面を何度見ても「バスタブ」と書かれているので、Booking .comに連絡し、Booking .comから10%だけ返金してもらえることに。言ってみるもんだな…。

ニンニクと生姜を大量に使ったスープを作り、倒れるようにベッドに入りました。

32日目

Sarria

一歩も外に出ず、生姜の効いた野菜スープとパンを食べて一日中寝て過ごしました。食欲があるのが救い。
海外で体調を崩すことほど嫌なことはありません。ただの風邪ならいいけど、変な病気じゃないといいな…と心細くなります。体温計もないので熱があるかも分からず、実家が恋しくなりました。

33日目

Sarria → Portomarin

昨日丸一日寝たせいか、寒気もなくなりだいぶ楽になりました。やっぱりただの風邪か…。

サリアの町を見ることなく、矢印の通りに進みます。


一応記念撮影。

霧の中を進みます。体調は良くなりましたが、少し咳が出ます。

アーモンドケーキとカフェコンレチェで休憩。
今日はプルポが食べられるポルトマリンを目的地にして、少し短めの行程です。

マリアに風邪で1日サリアにステイしたこと、今日はポルトマリンまでしか歩かないことを連絡すると、私の身体を気遣いつつも「もうすぐ追いつける気がする!」と喜んでいました。

サリアからは巡礼者の数が急に増える、と聞いていましたが、本当にずっと人に挟まれて歩くことになります。サンティアゴにてコンポステーラ(巡礼証明書)を貰うには、サンティアゴまで100kmは歩く必要があり、サリアがちょうど100kmくらいの距離なのです。

ついに残り100km地点に到達です。ここからはスタンプを1日2個以上貰わないといけないらしいのですが、私の巡礼手帳はもうすでに押す場所がなくなりそう…。

休憩中のカフェでベリンダ姉さんと再会。彼女もアルベルゲで風邪をもらったらしく、咳をしていました。二人で咳をしながら薬を飲み、「私たち、もうボロボロだね」と笑いました。

ベリンダ姉さんによると、シェーンとクリスティーンも風邪でダウンしているとか。もうこれはみんな同じ風邪だな!と何となく一安心。

遠くにポルトマリンの町が見えてきました。見えてからが遠い。

私の愛用アプリ「Buen Camino」によると、サリア以降は巡礼者が急増するので宿の予約を忘れるな、とのこと。私たちは予約していませんが、大きめのアルベルゲにアタックしてみる予定です。

橋を渡るとポルトマリンです。橋が思いの外高さがあってお尻がゾワゾワしました。

橋を渡り終え、急な階段を登って町に入ります。とんでもない入り口ですね。

130ベッドある大きいアルベルゲに行ってみると、問題なく入ることができました。ものすごく綺麗な施設で、シャワー・トイレも男女別でとても清潔でした。

ずっと奥までベッドがあるけれど、宿泊者がそんなにいないので使われていませんでした。

テラスからは湖が見えて気持ちいい。シャワーを浴びて洗濯を済ませ、軽食を食べに出かけます。

ポルトマリンの町の中です。新しい巡礼手帳もゲットしたい。


町の中心にある大きな教会。

ツーリストオフィスが閉まっていたので、土産物屋さんで巡礼手帳を購入しました。


記念撮影。

バルに入るもプルポはないと言われ、トルティージャとポテトフライを注文。トルティージャにもジャガイモがいっぱい詰まっていて、お腹いっぱいに。

夜、宿の裏のレストランにプルポを食べに行きました。これだけ食欲があれば風邪ももう治っただろうと思いましたが、夜になると咳が悪化しました。


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