スガ旅

夫婦で世界の大自然を歩いた旅の記録

私たちのモロッコ探検記①【タンジェ】

1日目

Tarifa/Spain → Tangier/Morocco

いよいよ初めてのアフリカ大陸に上陸します!私は初めてですが、夫は3度目(?)です。その話は後ほど。

タリファで宿泊した宿は、バスの到着時刻が23時半と遅かったので、 24時間チェックインができるホテルを選びました。チェックイン時間が決まっているホテルが多い中、こちらのホテルは深夜0時に到着しても笑顔で待っていてくれて助かりました。

宿の1階のカフェでスペイン最後の朝食です。サンティアゴ以来のスペインなので、久々のトスターダとカフェコンレチェを楽しみにしていましたが、バターがないと言われてしまいました…。代わりにトマトとオリーブオイルと塩でトスターダを楽しみました。

宿を出て、海に向かって進んで行くと、

何ということでしょう。すでにここからアフリカ大陸がうっすらと見えています。ここタリファとモロッコのタンジェとの距離は32kmほど。実はバルセロナ初モロッコ行きの航空券の方が安かったのですが、どうしてもジブラルタル海峡を船で渡ってみたかったのでややこしいルートでここまでやって来ました。

人の流れる方向に歩いて行き、フェリーターミナルに到着!カウンターに行き30分後に出発するフェリーに乗りたいと言うと、すぐに発券してくれました。片道一人35€です。パスポートを返却してもらうと、入国審査の用紙が挟まっていました。

誰か見てるのかな、と思うほど雑な手荷物検査をクリアし、乗船です!念のため酔い止めも飲んで挑みます。人も車も同じ場所から乗船し、みんな荷物は適当に車の横に置いていました。

割と時間通りに出発です。さようならスペイン、ありがとうヨーロッパ大陸。

入国審査は船内にて行われるようで、出港前から長蛇の列。私たちは空いてから並ぶことにして、用紙の記入だけ済ませてデッキで景色を堪能。
酔い止めを飲むのが遅かったせいか、船が揺れ過ぎるせいか、ものすごく酔いました。私は吐きませんでしたが、船内には吐く人もチラホラ。袋を配るスタッフもいました。慣れていますね。

入国審査では一言も何も聞かれることなくスタンプを押してもらえました。モロッコを出る航空券をまだ買っていなかったので不安でしたが、心配無用でした。1時間ほどでアフリカ大陸・モロッコに到着です!


こんにちはモロッコ!

フェリーターミナルから旧市街まではとても近く、歩いて行けます。旧市街に宿を取っていたので徒歩で向かいます。

迷うことなくホテルに到着しチェックイン。ここタンジェには2泊し、SIMカードの入手やバスチケットの購入などを済ませる予定です。
チェックイン時にランチ中だったホテルスタッフが、「モロッコの食事、ちょっと試す?」というので私たち用に持って来てもらえるかと思いきや、持ってきたのはスプーン2本。

彼の食べかけの食事を一緒にいただきました。「遠慮しないで!」と言われましたが、ちょっとだけにしました。

モロッコの各都市には必ずと言っていいほど旧市街(メディナ)と新市街があります。観光するのはほぼメディナで、新市街は割とどこも都会です。

「旧市街のレストランはどこも観光地価格で高いよ」と教えてもらったので、新市街にあるおすすめレストランへ。混雑しているので人気店でしょうか。

ミントティーとチキンタジンを注文。
ポテトで何も見えませんが、下にチキンが入っています。味は至って普通でした。
ミントティーのワイルドさにびっくりしました。

2日目

Tangier

近くにモスクがあるので、夜明け前にアザーンが聞こえました。ああ、イスラム世界にいるんだなあ、と実感。


タンジェの新市街。

近くのカフェで朝ごはんを食べた後、新市街にあるバスターミナルへチケットを買いに行きました。

次に向かうシェフシャウエンまでのバスチケットを購入。「モロッコでバスチケットを買う」って何だか難しそうですが、ものすごくスムーズに買えました。バス会社は2つのみで、行き先も時間も限られていて、選択数が少ないのでシンプル。窓口も英語が通じます。

もっとテキトーなチケットかと思っていたら、きちんとしたチケットでした。モロッコ快適。

SIMカードは「Maroc Telecom」の看板が下がっているお店で購入。お店の人にお願いして設定もしてもらえました。SIMカード1枚と2GB分のチャージで50ディルハム(約520円)と激安です。ユーロ圏では2GBで15€くらいしていたのに…!これでネット環境もバッチリ整いました。


「ジョーカー」もやってる。


アボカドジュース。


やけに猫が多い町。

カフェのテラス席には猫かおじさんが必ずいます。


暖を求めて近づいてきた子猫。

モロッコの公用語はアラビア語とベルベル語ですが、フランス植民地時代もあったのでフランス語も通じます。さらに、ここタンジェはスペインからとても近いせいか、スペイン語も通じます。

初めてメキシコに降りたった時は言葉が1mmも理解出来なかったけれど、今は何となく理解出来る喜び。使える言語が増えるって素晴らしいな、としみじみ感じました。

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束の間のポルトガル

ポルトで数日間の休養

マリアと別れた私たちは、ヨーロッパ内の格安バスでお馴染みのFlixBusにてポルトガルに移動しました。

バスはあっという間にポルトに到着。あいにくの雨です。
カミーノを歩いている時は、サンティアゴからポルトガル人の道を通ってポルトまで歩こうとか、自転車を借りてキャンプしながら行こうとか言ってましたが、体力と体調と天候を考慮してバスにしました。


B級グルメのフランセジーニャ。

ポルトでは観光はほぼせずに、ぶり返した風邪を治すべくairbnbのアパートでゆっくりしました。
街の中心からは遠いけど、観光よりも療養が第一なので問題なしです。


エッグタルト。

カミーノ仲間のギレンヌ&セバスチャン夫妻ともポルトで再会し、一緒にご飯を食べました。

ギレンヌは、ポルトの街なかでカミーノの矢印を発見したんだと嬉しそうに話していました。きっとみんな、矢印を追う毎日が終わってしまって寂しいんだろうな。
彼らは明日からレンタカーを借りて南下し、2週間ポルトガルを満喫すると話していました。


いつもエレガントなご夫婦。

ポルト最終日にやっと晴れたので、少しだけ街を散策しました。魔女の宅急便みたいな街並みが美しかったです。

ポルトからレンタカーで南下

観光地で何をしたらいいのか戸惑ってしまう私たちは、レンタカーを借りてキャンプをすることにしました。

ポルトガルではマニュアル車が普通なのか、オートマ車を選択すると値段が跳ね上がりました。

途中で寄った薬屋さんのお兄さんが英語も話せて、症状を伝えると効き目バッチリの薬を出してくれました。飲む数なども英語で書いて貼ってくれて、優しさに涙が出そうでした。

ポルトガルのキャンプ場は、閑散期なのか全く人がいませんでした。ポルトガルではキャンプ場以外でのキャンプは禁止で、焚き火も固く禁止されていました。JMT以来のテント泊でしたが、焚き火の出来ないキャンプに少しだけテンションが下がりました。


かわいい共用キッチン。

とても綺麗に管理されているキャンプ場でしたが、1泊だけにしてさらに南下することにしました。

次に訪れたのはナザレという町。サーフィンが有名らしく、久々に海を見ました。


コーンの部分がチョコレート!

とてもかわいい町だったので、急遽ホテルを探してここで一泊することに。薬が効いたのか、体調もすっかり良くなってきました。


雲が西洋画の雲。

翌日はユーラシア大陸最西端のロカ岬を訪れました。
カミーノでフィステーラを訪れることが出来なかったので、最果ての地に来たかったのです。


「ここに地終わり海始まる」

とくに駐車場代も取られませんでしたが、どんどこ観光バスが押し寄せるので、少し休憩してすぐに出発。

都会のリスボンは通り過ぎます。

この日のキャンプ場に到着。2人で1泊1,700円くらい。夕食は外で済ませ、完全に寝るだけのキャンプです。焚き火も出来ないし。

ポルトガルでのキャンプを楽しめないと悟った私たちは、一気に返却地に近い場所に南下することにしました。

2泊で3,700円と、キャンプ場並みに破格のアパートホテルを発見し、ここでゆっくりすることに。久々にスーパーに行き、自炊しました。

駆け足でポルトガルを縦断しましたが、私たちの目的地はさらに南、再びスペインに入ります。

レンタカーをポルトガルのファロ空港で返却したのち、FlixBusにてスペインのセビーリャへ。

バスの乗り継ぎ時間に最後のタパスを楽しみ、夜のバスでスペイン南端の港町、タリファに降り立ったのでした。

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カミーノ後記

38日目

朝8時に巡礼事務所が開くので、朝7時50分頃に着くように向かいました。

開館前から長蛇の列!8時にオープンすると、すぐに中に通されて整理券が配布されました。この整理券システムがかなりハイテクで、QRコードを読み込むと何人待ちか一目で分かります。
巡礼事務所で再会したサリーとマリア、私たち夫婦の4人で近くのカフェに行き、自分たちの番を待ちながら朝ごはん。

スペインで一度も試したことのなかった「コラカオ」を注文してみました。牛乳に入れて溶かすタイプのホットチョコレートです。寒かったのでとってもあったまる…!

みんな無事にコンポステーラをゲット!サンジャンからだと779kmなんですね。ずっと800kmだと思ってました。コンポステーラを入れるホタテ柄の筒も購入しました。卒業証書みたい。

マリアと夜会う約束をして一度別れ、私たちもホテルへ戻ります。

戻る途中のカフェでホットチョコレートとチュロスを楽しむ夫。日本を出てからすっかり甘党になってしまいました。

薬局で購入した咳止めが抜群に効いています。タブレットを水に入れ、炭酸水のように飲むのですが、味も美味しい。もっと早く買えばよかった…!

サンティアゴに数日滞在しているダグから、夜ごはんを一緒に食べてお祝いしようと連絡が来ました。マリアも誘って、シーフードが食べられるレストランにて大集合。

マリアはレストランに向かう途中オーストラリアのマイケルと遭遇したと言って、マイケルも連れてきてくれました。ダグとジョンは私たち以外初対面でしたが、すっかり打ち解けてくれてほっとしました。

ゴッドファーザーのようなダグは、この後マドリードで奥さんと合流し、スペイン各地を回った後船でアメリカに帰ると言っていました。若い頃から旅行が大好きで、子供が生まれてからは休みのたびにアメリカ中の州を周り、行ったことがない州はもうないとのこと。私たちとは2日間一緒になっただけなのに、ずっと気にかけてくれていた大好きな二人です。


ホタテの旅が終わります。

マイケルとは二日目のアルベルゲ難民仲間で、あの時のアルベルゲのオスピタレロがロバート・デニーロに激似だったよねと思い出話に花が咲きました。あの時仲間に入れてくれてありがとうと言われ、私は何もしていないけど、胸が熱くなりました。マイケルは足が悪く、いつも足を引きずって歩いていました。みんな歩き終えることが出来て本当に良かった。

明日は昼からミサに参加する予定でしたが、ダグに「巡礼事務所の聖堂で朝から英語のミサをやるから、そっちに行きなさい」と言われ、マリアと私たち夫婦は英語ミサに参加することにしました。
みんなで抱き合っていつかの再会を約束し、解散。
いい夜でした。

39日目

マリアとカフェで朝ごはんを食べてから、朝9時半に巡礼事務所の入り口にある聖堂へ。

スペイン語でも英語でもあまり内容を理解出来る気はしませんが、こじんまりとした聖堂で受けるミサの方が心地良さそうです。

並んでいると、日本人の男の子が!彼はリキ君と言って、まだ学生さんだそう。14歳の頃からカミーノに来るのが夢だった、というリキ君の話に驚いていると、後ろからすっと手が伸びてきて肩を抱かれました。振り向くと、イスラエルの2人組、レウトとシーラでした。彼女たちは全身びしょ濡れで、大雨の中たった今到着したところでした。夜ご飯を一緒に食べる約束をして、私たちはミサへ。


巡礼事務所の小さな聖堂。

ミサでは最初に、全員自己紹介をします。出身地と名前、どこからスタートしたかを立って述べるのですが、あがり症の私はかなり緊張しました…。マリアも「心臓が爆発しそう」と言って、気の小さい私たち。ちなみに私が夫の紹介もしたので、夫は立って前を向くだけの簡単なお仕事。

神父様が巡礼者が無事にサンティアゴにたどり着けたことを祝福し、聖歌を歌い、祈りを捧げたい人は前に出て皆の前で祈りを捧げます。
ある人はアマゾンの森林火災について、ある人は世界中の紛争について。
ミサが終わり、マリアに呼ばれたので祭壇の方に行ってみると、自分の祈りを紙に書いて納める場所がありました。3人とも自分の祈りを紙にしたため、祭壇の下にある箱に入れて聖堂を後にしました。

その後は、修復工事中のサンティアゴ大聖堂の見学へ。

映画「The Way(邦題:星の旅人たち)」を観てカミーノの存在を知った私ですが、劇中に出てくるサンティアゴ大聖堂のボタフメイロを見られないのは非常に残念です。これ人入れていいの?というくらい、ガンガン工事していました。

聖ヤコブ像に触れるため、長蛇の列に並びます。写真中央にいるヤコブの背中に触ることが出来るのですが、細い階段を登って内部に入り込む形となっています。

外側からヤコブの棺が見えました。ちなみに内部に入ってからの写真撮影はNG。みんな構わず撮っていましたが…。

工事中にもかかわらずものすごく混雑していて、流れ作業のようにヤコブの背中を一瞬撫でて外に出ました。巡礼者よりも観光客が多いサンティアゴ大聖堂でした。

コンポステーラもゲットし、ヤコブ様にご挨拶もし、ようやく一連の儀式を終えて肩の力が抜けました。私たちは明日の朝サンティアゴを発つ予定で、今夜が最終日です。マリアは明後日ドイツに帰国予定。

大聖堂を出ると、マリアのお友達が待っていました。彼はチェコ出身のロビン。私たちがマリアと会えなかった期間、一緒に歩いていたそう。彼はすでにフィステーラとムシアまでも歩き終えていて、今日の夜の便で祖国に帰る予定だったのですが、フィステーラかムシアで命の次に大事なIDを落としてしまったそう…。それがないと飛行機にも乗れず、今日は警察に紛失届を提出してきたところだと言っていました。かわいそうに…。

ランチ中に思考を巡らせ、チェコまで陸路で帰る決心をするロビン。スマホでバスの手配を済ませて、3度の乗り継ぎを経て、43時間で祖国に着くそう。死んだ目で笑っていました。

サンティアゴでの最後の晩餐は、イスラエルのレウトとシーラ、私たち夫婦とマリア、そしてロビンの6人になりました。レウトたちに連絡すると、さらに2人友達を連れて来たいとのことで、私たちも日本人のリキくんを誘い、全部で9人。大所帯です。

マリアに、ユダヤ教の友達が来るからレストランを選んだ方がいいかな、と相談したところ、ユダヤ教の食事「コーシャ」のお店を探した方がいいか、彼らに直接聞いてみるといいよ、とアドバイスをもらいました。
言われた通りにレウトたちに連絡すると、「どの店でもポテトとかサラダとか食べられるものはあるから大丈夫!それよりも、そんなことを気にしてくれて嬉しい」と返信がありました。

夜、普通のレストランで全員集合。マリアはヘブライ語が話せるので、レウトたちとも一気に打ち解けていました。心のどこかでドイツとユダヤの確執を恐れていたけれど、遅れているのは私だけで、世界は進んでいました。

今現在イスラエルではユダヤ教の新年らしく、私たちでいう正月休みだそうです。家にいると電化製品は使えないわお金は使えないわで何も出来ないので、とにかく家を出たかったんだ、と話すシーラ。彼女のお家は敬虔なユダヤ教のお家なんだろうな。

とは言え、彼女たちはユダヤ教が嫌いだとか、改宗したいなんてことは思っていません。日本人の私たちには到底理解出来る習慣ではないけれど、彼女たちは自分たちの宗教をとても大事にしています。

また、私たちがこの後イスラエルにも訪れる予定があるよ、というと、エルサレムのことやヨルダンのこと、色々なことを教えてくれました。中東は未知の領域なので、とても助かります。

夜中の0時を回ったところで解散。なかなか帰ろうとしないマリアに、夫が「明日のバスは昼だから、朝ごはん一緒に食べる?」と提案。マリアはとても喜んで、「Good job, Taro!」と褒めていました。

店の外でギレンヌ・セバスチャン夫妻に遭遇し、彼らも明日からポルトガルに行くとのことだったので、ポルトで食事する約束をして帰路につきました。

40日目

朝宿を出て、まずは先月サンジャンから発送した荷物を引き取りに、受け取り場所のホテルに向かいます。

フロントで引き換え証を渡し、無事に荷物の受け取りも完了!サンジャンで借りた大きなボストンバッグもここで返しました。

その後、マリアの待つカフェへ向かう途中、小学生の団体に遭遇。一人の男の子から、「質問をしてもいいですか?」と話しかけられたので足を止めると、「どこから来たの?どこからスタートしたの?何日間歩いたの?」とたくさんの質問が。引率の先生が見守る中質問に答えると、小学生の団体は「すごい!」とか「ジャパン!」とか、嬉しそうにお礼を言って去っていきました。

マリアと朝ごはんを食べ、いよいよお別れの時。もちろん寂しいけれど、お互い生きている限りきっとまた会えるはず。「何歳になるか分からないけど、必ず日本に会いに行くね」と言うマリアと長い抱擁を交わし、笑顔でお別れしました。

カミーノを歩き終えて

こんなに長い距離を歩いたのも初めてだし、1ヶ月の間にこんなにたくさんの人々との出会いがあったのも初めてでした。10日を過ぎたあたりで足が壊れ始め、30日を過ぎたあたりで風邪を引きました。荒野を歩くJMTとは全く違う徒歩旅でしたが、たくさんの人の人生に触れ、精神的に成長出来た1ヶ月だったんじゃないかな、と思います。

人を思いやり、助け合い、受け入れ、赦し、赦された1ヶ月。宗教を超え国籍を超え、みんなに平等に開かれたこの道を歩き、得たものは想像以上でした。
世界中の巡礼者がこの道に魅了され、歩き終えたあともオスピタレロとしてこの地に残ったり、移住して巡礼者を助ける側に回ったりしている理由が分かりました。

また、若者よりもシニア層が多いことに驚きました。リタイアして時間が出来てから歩く人が多いのでしょうが、毎日宿に泊まれるし食べ物にも不自由しないため、老若男女問わず誰でも安心して歩ける道なんだなぁと改めて思いました。

巡礼路沿いの町では、小さな村や大きな町に関係なく、住民の方々から「Buen Camino!」と温かい声援を受けることがしばしば。公園で遊んでいる4歳くらいの子供に言われることもありました。これもここに住む彼らの文化であり、巡礼者と共に歴史を重ねていることに感動しました。

スペインを冒険するならカミーノはもってこいでしょう。私たちはバルセロナもマドリードも行ったことはありませんが、誰も聞いたことのないような小さな村々を訪れました。村人より巡礼者の方が多いようなところばかりでしたが、スーパーマーケットはなくても個人商店があり、困っていることを伝えるとみんなが助けてくれる、そんな温かい村ばかりでした。

そしてやはり、何よりも人との出会いです。ここへ来なかったらお互いの人生に触れることのなかった愛すべき人々との出会い。いつかみんなの国を訪れる旅をするのが私の「やることリスト」に追加され、また、彼らを日本で迎え入れるのもとても楽しみです。



カミーノの記録は以上です。泊まったアルベルゲの情報など、後日改めてまとめるつもりです。
このブログを読んでくださった方々からあたたかいメッセージを頂き、日々励まされました。長々とお付き合い頂き、本当にありがとうございます。

この後はポルトガル→モロッコに移動し、アフリカ編を記録していく予定です。私にとっては初めてのアフリカ大陸。私の人生での初めてがたくさん詰まっていそうで、楽しみ半分、不安半分、とにかく健康に留意しながら過ごそうと思います。

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