スガ旅

夫婦で世界の大自然を歩いた旅の記録

東南アジアTrip⑨

DAY12

喉の痛みは少し治った。
9時にトゥクトゥクをお願いして、1時間ほど北上したところにある地雷博物館を訪れることにした。

地雷博物館は私設の博物館で、アキ・ラーさんという方が運営されている。日本語の解説のファイルもあったのでそれを片手に館内を回る。

アキ・ラーさんは5歳の時に両親と引き離され、クメール・ルージュの元で育てられた。10歳からは銃を扱うようにもなり、少年兵として戦った。

その後、ベトナム軍に入って戦ったり、カンボジア軍に入って戦ったり、激動の時代を生き抜いた。
地雷除去を始めたのは1990年頃から。自分で作った地雷除去の道具を使い、かつて自らが埋めた地雷原で除去活動をするようになった。

そこで解体した地雷を持ち帰り、展示をしたのが私設博物館の始まりだ。

日本にいる時に、映画「First They Killed My Father(最初に父が殺された)」を鑑賞した。
アンジェリーナ・ジョリーが監督を務めた作品で、彼女は2000年にトゥームレイダーの撮影でカンボジアを訪れたことがきっかけで人道支援の道に入って行ったという。
見たことがない方にはぜひ見てほしい。私はこの映画を見るまでクメール・ルージュを知らなかった。

youtu.be


ポルポト政権率いるクメール・ルージュは、前政権を倒すと国民を強制収容所へ大移動させた。全ての国民が資産を捨て、1から理想の国を作ると謳い、まず最初に知識人が殺された。子供は少年兵として育て、銃の扱いを叩き込み、地雷を埋めさせた。
逆らわないことが、唯一の生きる術だった。

カンボジアについて「大虐殺」「地雷」というワードは知っていたけど、その背景や「誰が埋めたのか」についてはなぜだか考えたことがなく、映画を見てかなりショックを受けた。

少年兵だった青年が、今は地雷の除去活動をして、除去した地雷を博物館に展示。今回は絶対に訪れたかった。

館内は地雷について、クメール・ルージュについてわかりやすく展示がされている。

特に目を引いたのが、中央に置かれた地雷の塔。地雷除去は命懸けの作業だ。

対人地雷が使われた理由に、兵士を殺すためではなく怪我を負わせるためと書かれていた。
負傷した(死んでいない)兵士は介抱が必要になるので、戦場から兵士を減らすことができるという理由で使われていたのだ。悲惨すぎる。

今もなお地雷や不発弾が埋められたままの国土。その中で世界中から地雷除去活動のために様々な支援が行われている。
私がのほほんと一人旅を楽しんでいる間、汗を流して自らの命の危険を冒しながらも他人の命に向き合っている人がいる。
何だか色々ショックだった。
テントを背負って大自然に身を委ねて星の下で眠ることができない世界があった。
草原を駆け回ることができない世界があった。そんなこと、今までの人生の中で想像できたことがあっただろうか?
地雷や不発弾が埋まっている横で寝食することを、日本の暮らしの中で想像できるだろうか。

博物館を出たあとは、今日で期限が切れるアンコールパスを使いに近くのアンコール遺跡「バンテアイ・スレイ」に向かった。

「東洋のモナリザ」と呼ばれる女神像が綺麗に残っている遺跡で、他のレリーフもとても保存状態が良かった。
でもなんだか遺跡のことよりも地雷のことが頭を離れなかった。

帰りはダウンタウンで降ろしてもらい、パブストリートをぶらぶらして過ごした。

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